大相撲

似て非なる場所

三月場所は新入幕尊富士が優勝、入幕2場所目の大
の里が最後まで優勝を争った。これと似た場所はあ
ったのか。似て非なる場所が思い出される。その前
に110年ぶりと称する新入幕優勝についてふれてお
きたい。

それは大正3年夏場所のことである。なお、優勝制
度は大正」5年に公式に始まった。この時期にあった
のは時事新報社による幕内最高成績者の写真額を国
技館に掲げる制度である。この時期は対戦相手が休
場すると自分も休場扱いされた。引き分け、預かり
が多く最高成績を争える仕組みではなかった。

<両国のブロマイド>

現に幕内最高成績者の両國(前名松ヶ崎)は9勝1
相手休であった。横綱太刀山は8勝1預1相手休で
あった。両力士は異なる方屋であるが対戦はなかっ
た。両國(前名松ヶ崎)の対戦相手は小結が最高で
あとは平幕であった。不戦勝不戦敗制度・取り直し
制度は大正15年の優勝制度とともに始まった。

新入幕力士で13勝をあげた力士は北の富士、陸奥嵐、
逸ノ城、尊富士の4人である。この中で忘れられな
い場所が北の富士が新入幕した昭和39年一月場所で
ある。北の富士は前の場所十両で15戦全勝優勝を達
成している。栃光、豊山(前名内田)につぐ3人目
の偉業だった。

<北の富士>

だが、昭和39年一月場所北の富士を上回る力士がい
た。入幕2場所目の清國である。初日から14連勝。
この時王者大鵬は23歳で11回優勝していた。その大
鵬も初日から14連勝していた。

当時幕内中位以下で勝ち進んでも上位と対戦する制
度はなかった。史上初の全勝同士の優勝決定戦かと
色めきだった。千秋楽清國は関脇大豪(前名若三杉)
に当てられ1敗したため全勝同士の優勝決定戦は実
現しなかった。

<清國のブロマイド>

優勝は全勝の大鵬。
入幕2場所目清國14勝1敗。
新入幕北の富士13勝2敗
似て非なる場所だが、三月場所を観戦してこの場所
がよぎった。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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