大相撲

理事長の任期5

2024年3月4日

元栃錦は任期がまだあるなか、理事長をライバルの
元若乃花の二子山に禅譲した。それだけに子山理事
長の任期は約3年2カ月と短期になった。立ち合い
の待ったに罰金を導入したが、悪いのは待ったした
ほうとは限らないのでいつしかなくなった。

<貴花田に賜杯を渡す二子山>

ニ子山理事長は短期間の任期のなかで無気力相撲
(八百長)問題に取り組んだ。平成3年の九月場所
前、全親方、全関取を集めた。メディア抜きであっ
た。そこで何が話し合われたのか、想像はついた。

具体的な中身が明らかになったのは平成8年10月の
ことである。出席者の中に録音機を持ち込んだ者が
いたようだ。二子山理事長は激高した。「君らよく
聞けよ、親方衆。重大なことだぞ。若い親方衆、今
までの相撲を見てみろ。師匠は何とも思わないか。
その勝ちで喜んでいるのか、手をたたいているのか。
おめでとう、おめでとうって。逆に叱らなきゃいけ
ないじゃないか」

次の理事長候補元佐田の山の出羽海が、こう言った。
「故意による無気力相撲が一部不心得ものによって
行われるのは許されない。金で手に入れることは、
稽古も何もしなくていい。床山とか若い衆とか、仲
介した人は相当な処罰をする。若い衆はクビ、床山
は廃業になるかもしれない」

<佐田の山のブロマイド>

二子山理事長は財団法人を剥奪され、国技館を接収
されるという趣旨を口にしている。録音テープの内
容がでたときニ子山理事長はすでに定年で協会には
いなかった。

板井が引退したのは平成3年九月場所だった。板井
は年寄春日山を借株で襲名するつもりでいた。だが
二子山理事長は「協会行事に熱心でない」という表
向きの理由で断じて襲名を認めなかった。板井は八
百長の仲介約である中盆であった。それが二子山の
逆鱗にふれた。 

<板井著中盆>

協会を離れた板井はのちに日本外国特派員協会で八
百長を吐露している。八百長が発覚したのは平成23
年一月場所後であった。だが元ニ子山理事長はそれ
を知ることなく、平成22年9月1日に死去した。

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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