大相撲

昭和・平成7横綱に玉砕した力士2

素質、素材からやがて貴ノ花と大受、2人の貴受時
代が来ると思われた時期があった。また魁傑・貴ノ
花・輪島の魁貴輪で賜杯を阿佐ヶ谷で独占するので
はと予測されたことがあった。実際輪島に対抗した
のはあとから来た怪童北の湖だった。史上最年少で
横綱に昇進した。

その北の湖が29回戦って1度も負けなかった力士が
いる。金城、のちの2代目栃光である。花のニッパ
チ(昭和28年生まれ)5人衆の一人である。最初の
対戦は昭和49年十一月場所で、最終対戦は昭和57年
五月場所場所だった。

<北の湖>

北の湖はほかに蔵間に17勝0敗、青葉山に12勝0敗
している。また、舛田山に11勝敗、佐田の海父・鳳
凰に10勝0敗だった。北の湖はけっこう無敵ぶりを
発揮した。

千代の富士は脱臼癖があった。それにもかかわらず
投げを多用した。筋肉の鎧をつけ、前みつを取って
出る相撲に変えたことで強くなった。それでも31回
も優勝できるとは想像できなかった。

<千代の富士>

板井に対して16勝0敗だった。すべて横綱としての
対戦だった。板井は引退したとき、協会に残ること
を許されなかった。なぜという疑問は当時あまりな
かった。

千代の富士はほかに闘竜・陣岳に15勝0敗であった。
闘竜には前頭から横綱にかけての対戦だった。陣岳
とは横綱時代の対戦だった。栃乃和歌に14勝0敗、
花ノ国に10勝0敗だった。花ノ国は千代の富士の46
連勝目の対戦相手だった。

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.