大相撲

違和感ある一月場所番付の関脇の位置

一月場所番付は東関脇若隆景、西関脇豊昇龍となっ
た。前場所の成績は以下であった。
東関脇 若隆景8勝7敗
西関脇 豊昇龍11勝4敗
豊昇龍のほうが成績がいい。
それにも関わらず若隆景が上位に位置した。

<若隆景>

横綱・大関だって成績順で順位が決まる。しかるに
この関脇の処置は不自然で理解に苦しむ。もっとも
専門誌「相撲」は関脇の若隆景-豊昇龍の順を予想
していた。それでも合理的理由はみつけられなかっ
た。

そこで以下の条件で調べてみた。
1.関脇で複数力士が勝ち越し、下位のほうが成績が
いいケース
2.なおかつ大関昇進・大関復帰がないケース
3.小結の好成績者が関脇にはいるケースもあるが、
あくまで勝ち越した複数の関脇の位置に視点をおい

<豊昇龍>

調査は系統別総当たりが定着した昭和22年秋場所以
降とした。最初のケースは次であった。
昭和25年秋場所       翌場所
東関脇   鏡里 8勝7敗 東関脇 吉葉山
東張出関脇 吉葉山13勝2敗 西関脇 鏡里

これは成績に差があったからではない。1勝差でも
同様である。
昭和35年一月場所    翌場所
東関脇 安念山8勝7敗 東関脇 北葉山
西関脇 北葉山9勝6敗 西関脇 安念山

例外は以下であった。
昭和29年夏場所       翌場所
東関脇 若ノ花9勝6敗   東関脇 大内山
西関脇 大内山9勝4敗2休 西関脇 若ノ花
休場は敗北より上としか考えられない。今日では0
勝が全休より上の扱いである。(2018年12月1日の
記事参照)

<貴ノ花のブロマイド>

昭和40年から部屋別総当たり制になった。ここでも
関脇複数勝ち越しは成績順の法則は変わらない。
昭和47年七月場所     翌場所
東関脇  輪島 8勝7敗 東関脇  貴ノ花
西関脇  貴ノ花12勝3敗 西関脇  魁傑
西張出関脇魁傑 10勝5敗 東張出関脇輪島

例外はあった。
平成5年七月場所      翌場所
西関脇   武蔵丸 8勝7敗 東関脇 武蔵丸
東張出関脇貴ノ浪 9勝6敗 西関脇 貴ノ浪

それではいつから方針が変わったのだろうか。意外
と最近で平成26年七月場所からである。
26年五月場所      翌場所
東関脇 豪栄道 8勝7敗 東関脇 豪栄道
西関脇 栃煌山 10勝5敗 西関脇 栃煌山

<豪栄道>

こうしたケースは一月場所番付を含めてわずか4例
にすぎない。平成30年七月場所から九月場所は例外
があった。これは数に含めていない。問題はどちら
が合理的かという点である。長い間成績本位できた
伝統のほうがだと思うがいかがだろうか

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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