目立たない記録であるが、若隆景がきたる一月場所
で6場所連続関脇在位となった。1年間関脇を維持
するのは大変な偉業である。しかも今は1横綱1大
関で手薄なため、この記録は伸びる可能性を秘めて
いる。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2023/01/210326十三日目幕内-885.jpg)
大関に昇進したら自動的に消滅するが、そのへんは
現時点では読み切れない。若隆景はどこまで記録を
のばせるのか。上には上がいる。
初代若ノ花は8場所連続関脇の記録保持者である。
この中には7勝7敗1分が含まれている。成績は72
勝45敗3分であった。三賞は3回受賞している。若
ノ花は内容はいいが、星数が足りないといわれてい
た。大関昇進によって記録は終わった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2023/01/若noha.jpg)
若ノ花と同日大関に昇進した力士が松登である。7
場所連続関脇に在位した。殊勲賞を2回受賞してい
る。成績は66勝39敗である。大関昇進後は1ケタ勝
利しかあげられなくなった。
若ノ花の弟弟子大豪(前名若三杉)は7場所連続関
脇を記録した。平幕優勝から約4年経過しての記録
であった。殊勲賞を1度受賞している。成績は56勝
49敗だった。最後は4勝11敗で関脇の座を明け渡し
た。
前乃山は、大関昇進前は実力者であった。7場所連
続関脇記録を持つ。三賞は4回受賞している。成績
は68勝37敗だった。大関昇進で記録は消滅したが、
実力は下降していった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2023/01/長谷川.jpg)
強豪関脇長谷川は2度8場所連続関脇の記録保持者
である。最初は昭和44年一月場所から昭和45年三月
場所である。大鵬の連勝が誤審でストップし、後半
は北の富士、玉乃島が台頭してきたときだった。
この時三賞受賞はなかった。成績は68勝52敗だった。
2回目は昭和46年五月場所から昭和47年七月場所で
ある。大鵬が引退し、玉の海が急死した時期である。
ここでは初優勝があり、三賞を2つ獲得している。
成績は1回目同様68勝52敗だった。
(この項目続く)