大相撲

北の富士の幕内対戦50回以上 下

北の富士のもう一人の幕内50回対戦以上は琴櫻であ
る。琴櫻は北の富士より早く、昭和38年三月場所入
幕していた。1度跳ね返されたが、1場所で再入幕
した。再入幕3場所目には上位で殊勲賞を獲得して
いる。北の富士が新入幕を果たした昭和39年一月場
所、琴桜は横綱柏戸戦で足首骨折という重症で休場。
番付を十両まで下げた。

<琴櫻>

北の富士と琴櫻の初対戦は琴桜3度目の入幕の昭和
39年十一月場所だった。このとき北の富士は前頭筆
頭、琴櫻は12枚目だった。普通なら対戦する地位で
はないなかで実現した。相撲は、はたき込みで北の
富士が勝っている。
                                    
昭和40年三月場所から北の富士対琴櫻戦は頻繁に行
われるようになった。21場所連続対戦後北の富士の
1不戦勝があった。その後15場所連続対戦している。
関脇以下同士では北の富士の7勝3敗であった。北
の富士が大関に昇進したあとは4勝3敗となった。

<北の富士>

大関同士では北の富士の10勝4敗であった。琴櫻初
優勝の場所、北の富士は琴櫻に勝っている。琴櫻が
北の富士との対戦成績を縮めていったのは、北の富
士が横綱になってからだった。横綱北の富士対大関
琴櫻は7勝7敗だった。北の富士は横綱3場所目に
優勝しているが、琴櫻はそのとき勝っている。

横綱同士の対戦で逆転した。北の富士の1勝4敗で
ある。全勝優勝を千秋楽に琴櫻にストップされたこ
とがあった。優勝決定戦では2度勝利している北の
富士も琴櫻に敗れている。

昭和49年はともに休場がちになり、七月場所に北の
富士・琴櫻は引退している。通算対戦成績は優勝決
定戦・不戦勝を含み、北の富士の29勝21敗で終わっ
ている。


<玉の海>

ライバル玉の海とは優勝決定戦を含み、北の富士の
23勝21敗だった。玉の海が生きていたら間違いなく
幕内対戦50回を超えていた。玉の海の死がつくづく
惜しまれる。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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