北の富士のもう一人の幕内50回対戦以上は琴櫻であ
る。琴櫻は北の富士より早く、昭和38年三月場所入
幕していた。1度跳ね返されたが、1場所で再入幕
した。再入幕3場所目には上位で殊勲賞を獲得して
いる。北の富士が新入幕を果たした昭和39年一月場
所、琴桜は横綱柏戸戦で足首骨折という重症で休場。
番付を十両まで下げた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/12/琴櫻A.jpg)
北の富士と琴櫻の初対戦は琴桜3度目の入幕の昭和
39年十一月場所だった。このとき北の富士は前頭筆
頭、琴櫻は12枚目だった。普通なら対戦する地位で
はないなかで実現した。相撲は、はたき込みで北の
富士が勝っている。
昭和40年三月場所から北の富士対琴櫻戦は頻繁に行
われるようになった。21場所連続対戦後北の富士の
1不戦勝があった。その後15場所連続対戦している。
関脇以下同士では北の富士の7勝3敗であった。北
の富士が大関に昇進したあとは4勝3敗となった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/12/北の.jpg)
大関同士では北の富士の10勝4敗であった。琴櫻初
優勝の場所、北の富士は琴櫻に勝っている。琴櫻が
北の富士との対戦成績を縮めていったのは、北の富
士が横綱になってからだった。横綱北の富士対大関
琴櫻は7勝7敗だった。北の富士は横綱3場所目に
優勝しているが、琴櫻はそのとき勝っている。
横綱同士の対戦で逆転した。北の富士の1勝4敗で
ある。全勝優勝を千秋楽に琴櫻にストップされたこ
とがあった。優勝決定戦では2度勝利している北の
富士も琴櫻に敗れている。
昭和49年はともに休場がちになり、七月場所に北の
富士・琴櫻は引退している。通算対戦成績は優勝決
定戦・不戦勝を含み、北の富士の29勝21敗で終わっ
ている。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/12/玉の海.jpg)
ライバル玉の海とは優勝決定戦を含み、北の富士の
23勝21敗だった。玉の海が生きていたら間違いなく
幕内対戦50回を超えていた。玉の海の死がつくづく
惜しまれる。