令和4年はすべて優勝者が違った。これは昭和47年、
平成3年に続き3例目である。なぜそんなことにな
ったのか。
昭和47年、一人横綱の北の富士は大乱調。大関は最
初4人いたが、頼りにならない弱い大関だった。
平成3年、横綱の交代期であった、平成4年一月場
所旭富士が引退。同年北勝海は五月場所前に引退し
ている。そのあと横綱不在が続いたなかで横綱曙が
誕生した。
令和4年、横綱照ノ富士のくずれと大関の弱体化が
原因である。照ノ富士は3場所休場した。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/12/1年の優勝が違う3例を比較A.jpg)
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/12/210721照ノ富士-121.jpg)
優勝した地位はどうか・
昭和47年 横綱1 大関1 関脇2 平幕上位1
平幕1
平成3年 横綱2 大関2 平幕2
令和4年 横綱1 関脇2 平幕上位2 平幕1
こうしてみると令和4年が一番見劣りする。大関は
ついに優勝と無縁だった。
なお、初優勝は以下になった。
昭和47年 4力士
平成3年 3力士
令和4年 3力士
昭和47年が目立っている。4場所連続初優勝でどう
なるかと思った。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/12/210117八日目幕内-803.jpg)
年間優勝勝利数は
昭和47年 77勝13敗
平成3年 81勝9敗
令和4年 74勝16敗
昭和47年一月場所、栃東が11勝4敗で優勝したのに
は驚いた。11勝でも優勝になるんだと。しかし、辛
口評論家の見方はシビアだった。これは優勝ではな
い。単なる1位にすぎないと。妙に納得したことを
覚えている。その昭和47年より、令和4年は劣る結
果となった。12勝優勝が4場所あり、14勝以上の優
勝はついになかった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/12/栃東.jpg)
優勝の翌場所負け越し数は次である。
昭和47年 2力士
平成3年 3力士
令和4年 2~3力士
阿炎が一月場所どういう成績かは未定である。負け
越さなかったが、長谷川・輪島が8勝に終わったと
きは落胆が多かった。
令和4年は平幕優勝が現在3場所連続中である。令
和5年はどんな場所になるか。誰かが飛び出すか。
混迷の場所が続くか。興味は尽きない。