大相撲

1年間優勝の顔ぶれが違う3例を比較

令和4年はすべて優勝者が違った。これは昭和47年、
平成3年に続き3例目である。なぜそんなことにな
ったのか。
昭和47年、一人横綱の北の富士は大乱調。大関は最
初4人いたが、頼りにならない弱い大関だった。
平成3年、横綱の交代期であった、平成4年一月場
所旭富士が引退。同年北勝海は五月場所前に引退し
ている。そのあと横綱不在が続いたなかで横綱曙が
誕生した。
令和4年、横綱照ノ富士のくずれと大関の弱体化が
原因である。照ノ富士は3場所休場した。

<照ノ富士>

優勝した地位はどうか・
昭和47年 横綱1 大関1 関脇2 平幕上位1 
平幕1
平成3年 横綱2 大関2 平幕2
令和4年 横綱1 関脇2 平幕上位2 平幕1
こうしてみると令和4年が一番見劣りする。大関は
ついに優勝と無縁だった。
なお、初優勝は以下になった。
昭和47年 4力士
平成3年 3力士
令和4年 3力士
昭和47年が目立っている。4場所連続初優勝でどう
なるかと思った。

<今年優勝がなかった貴景勝>

年間優勝勝利数は
昭和47年 77勝13敗
平成3年 81勝9敗
令和4年 74勝16敗
昭和47年一月場所、栃東が11勝4敗で優勝したのに
は驚いた。11勝でも優勝になるんだと。しかし、辛
口評論家の見方はシビアだった。これは優勝ではな
い。単なる1位にすぎないと。妙に納得したことを
覚えている。その昭和47年より、令和4年は劣る結
果となった。12勝優勝が4場所あり、14勝以上の優
勝はついになかった。

<栃東>

優勝の翌場所負け越し数は次である。
昭和47年 2力士
平成3年 3力士
令和4年 2~3力士
阿炎が一月場所どういう成績かは未定である。負け
越さなかったが、長谷川・輪島が8勝に終わったと
きは落胆が多かった。

令和4年は平幕優勝が現在3場所連続中である。令
和5年はどんな場所になるか。誰かが飛び出すか。
混迷の場所が続くか。興味は尽きない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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