大相撲

最高位大関はなぜ優勝できないのか

2022年10月20日

現代は混迷の時代である。優勝候補をあげ、その通り
優勝することは稀である。それどころか思いがけない
力士が浮上して優勝争いをする展開が続いている。
そのなかで大関はいっこうに優勝争いができないで
いる。それどころか、弱体化が進んでいる。貴景勝が
大関優勝したのは2020年十一月場所である。約2年前
のことである。最高位大関はなぜ優勝できないのか、
探ってみた。

<大関貴景勝優勝>

大正15年優勝制度がスタートして478場所経過した。
そのうち大関優勝は112場所ある。さらにそのうち
最高位大関の優勝は38例に過ぎない。わずか8%で
ある。魁皇は大関優勝が4回あるが、大関在位65場所
に対して大関優勝率は6%である。大関はかくも優勝
できない実態がある。

<最初に最高位大関優勝した常陸岩のブロマウド>

最高位大関はなぜ優勝できないのか。まず、横綱の
昇進基準が甘くなったことがあげられる。横綱の昇進
基準は2場所連続優勝が一人歩きし過ぎている。その
前に品格力量抜群という項目があり、本来はこの項目
だけで十分なのである。横綱昇進基準の甘さが弱い
横綱、短命の横綱、物足りない横綱を生んできた。
つまり強い大関は横綱に昇進し、残った大関は弱い
大関という構造ができてしまったのである。

一時東富士、千代の山、鏡里、吉葉山、栃錦と5横綱
が誕生しそうになった時期がある。「5横綱はいけ
ない」と東富士は引退した。残った4横綱の時代は
最長の14場所続いた。だが、全員が12勝以上の好成績
をあげたことはついになかった。いや、彼らだけでは
ない。いつの時代の4横綱も全員12勝以上の好成績は
ない。4横綱は看板にならなかったのである。

<東富士のブロマイド>

品格ははかりがたいが、力量抜群の横綱は誰か。横綱
が実質地位化した常陸山以降、常陸山、太刀山、大
錦、栃木山、常ノ花、玉錦、双葉山、羽黒山、栃錦、
初代若乃花、大鵬、玉の海、輪島、北の湖、千代の
富士、貴乃花、朝青龍、白鵬である。彼らこそ横綱に
ふさわしい存在だった。準じる者が照國、東富士、
北の富士、北勝海、曙、武蔵丸である。

強い大関は横綱に、残った大関は弱い大関だけに
なる。これが最高位大関優勝が極端に少ない理由で
ある。果たしてこれでいいのだろうか。横綱審議委員
会からこれまで弱い横綱、物足りない横綱をつくって
きた反省の弁を聞いたことがない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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