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引退!その厳粛なるもの

プロレスの資料に何気なく目を通していたら、プロ
レスラーの引退に触れた。引退レスラーはテリー・
ファンク。ファンク兄弟の弟で、日本では大変な人気
者であった。だが、外国人レスラーが日本で引退試合
をおこなうというのは、かなり異例のことであった。
1983年夏、馬場の全日本プロレスは、テリー・ファン
クさよならシリーズとうたって各地を転戦した。

<テリー特集号 日本スポーツ出版社発行>

最終戦となった蔵前国技館は1万3600人という超満員
の観客のなかでおこなわれた。最後の一戦はファンク
兄弟対スタン・ハンセン、テリー・ゴディ組であっ
た。試合はテリーが回転エビ固めで最終戦を飾った。
試合後スポットライトをあびたテリー・ファンクは
マイクをもち、「アイラブユー。サヨナラ!フォー
エーバー」と絶叫し、涙と感動のなかで引退試合を
終了した。

ところが1年半後、テリー・ファンクは「ファンと
家族が許すなら、カムバックしたい」と表明した。
これにはプロレスファンはさすがにあきれ、憤慨し
た。あの引退試合はいったい何だったのか。引退を
どうとらえているのか。けじめがつけられない者に
冷めた目を向けた。

<松鳳山>

大相撲の世界ではおよそありえないことである。プロ
野球のように今シーズン限りで引退ということも大相
撲ではありえない。引退を口にした瞬間が引退とな
る。そこには名を成し、功績をあげた者が力の衰え
からいさぎよく身を引く美学がある。大相撲には番付
というけじめがある。引き際は、個人差はあるが、
無給となる幕下落ちがひとつの目安になる。松鳳山は
まさにこれだった。

そして大相撲独特のセレモニーが断髪式である。後援
者・身内・協会関係者など300人くらいの多くの方が
次々にはさみをいれる。師匠が最後のはさみをいれて
いく。髷との別れ。それは完全な現役との惜別であ
る。そして整髪に。これほど変化のある厳粛な引退式
はほかにはあるない。

<朝青龍の引退相撲>

思い出深い引退相撲は朝青龍である。このときパー
ティーをおこなうホテルまでいったが、誰でもいける
ということで会場は人が多すぎて料理までたどりつけ
なかった。また把瑠都の引退相撲も忘れられない。
当日は雪ということで、前日から両国の隣の錦糸町の
ビジネスホテルに泊まった。席は7000円自由席のみと
いう異例さであった。これを知った琴欧洲は日程を
早め、冬を避けて秋に引退相撲を実施した。

<把瑠都の引退相撲>

現在はコロナ禍の影響で引退相撲がつかえている状況
である。大物白鵬の引退相撲も控えている。  

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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