きたる九月場所の番付、新小結・新関脇の誕生はなさ
そうである。新小結・新関脇は新しい力の表れとして
注視される。令和は新入幕力士が寂しかった。令和は
19場所を終えた。新小結・新関脇はどのくらい誕生
したのか。
令和元年は4場所であった。七月場所、阿炎・竜電が
新小結として登場した。後に出場停止になった二人が
そろって新小結になったのは皮肉である。令和元年は
五月場所からだが、朝乃山の平幕中位優勝とともに
始まった。その朝乃山が十一月場所に新小結になって
いる。
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さらに令和2年一月場所、大栄翔が新小結に、朝乃山
は新関脇に昇進している。新大関は五月場所が中止の
ため、七月場所からだった。朝乃山は新小結から短期
間で大関にかけあがったことになる。九月場所大栄翔
が、十一月場所隆の勝が新関脇に昇進している。上位
に定着する地力の力士が浮上してきていた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/08/201108初日幕内-896-e1660711384549.jpg)
令和3年地方場所復帰の最初となった七月場所、若隆
景・明生が新小結に昇進した。明生は翌場所新関脇に
なっている。十一月場所に霧馬山が新小結になって
いる。新しい力の台頭を予感させる面々である。
令和4年の今年、三月場所で若隆景、出場停止から
復帰を果たした阿炎がともに新関脇に位置した。若隆
景が優勝したのは記憶に新しい。また、この場所豊昇
龍が新小結になって維持し続けている。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/08/賜杯A-e1660711404862.jpg)
令和の新小結は8人、新関脇は6人 実数は9人で
ある。19場所で9人。上位に定着しているのは竜電、
朝乃山を除くと7人である。19場所で7人は1年で
2.2人である。次の大関はこのなかから出るのだろう
か。