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A級横綱誕生の周期

横綱ほど不思議な地位はない。まず、落ちる
ことはない。不成績なら引退である。だから
初代若乃花が横綱に推挙されたとき「困った、
困った」と頭を抱えていた。多くの兄弟を
かかえていたからまだ辞めるわけにいかなか
った。もうひとつ不思議というか奇妙なこと
がある。同じ横綱といってもピンからきり
まである。あまりにも差がありすぎるので
ある。

<若乃花>

将棋の名人は単なる名人と永世名人を名の
れる資格と区別している。名人に5期以上
在位すると永世名人の資格が与えられ、現役
のままあるいは引退後に名のれるわけである。
実力制名人は昭和10年に発足し、4人が永世
名人になっている。2人が引退後永世名人を
名のれる。

横綱は品格・力量抜群という基準があるが、
これを満たす横綱は意外と少ない。品格は
なかなかはりがたい。白鵬はふるまいを批判
された。だが、白鵬以上の横綱がいる。海外
巡業で拳銃を持ち帰って墨田川に捨てた横綱
がいた。また、暴力団との交際やお見舞いに
いった横綱がいた。

<東京中日スポーツの記事>

弟子をぶんなぐった元横綱も複数いる。引退
後だが、新興宗教に利用された元横綱さえ
いる。年寄名跡の取引では脱税があった。
八百長の噂が絶えない横綱がいた。「たた
いて埃が出ない人間なんているのかね」と
いったのは首相経験者であった。

ここではA級横綱をまず、横綱勝率8割以上
とする。実質横綱が地位化した常陸山以降の
東京横綱では14人いる。
常陸山
太刀山
大錦
栃木山
常ノ花
玉錦
双葉山
大鵬
玉の海
北の湖
千代の富士
貴乃花
朝青龍
白鵬

次に横綱優勝率30%以上の横綱である。30%
で1年に1.8回優勝していることになる。
該当するのは上記以外で初代若乃花である。
ほかに時代を築いた横綱ということで栃錦を
加えた。A級横綱は16人となった。常陸山
から稀勢の里までの東京横綱は50人いる。
まさに選ばれし者である。

それではA級横綱はどれくらの周期で誕生
しているのだろうか。ここでは横綱のデビュ
ー場所の間隔とさせていただいた。それが
以下である。

最大間隔は双葉山から栃錦までで17年かかっ
ている。双葉山が初の横綱になった1938年
1月、栃錦は入門前だった。入門は1年後
であった。次が千代の富士から貴乃花の13年
4カ月である。千代の富士が横綱で初登場
した場所、貴乃花は入門前だった。貴乃花の
前相撲は1988年三月場所であった。両力士は
1度だけ対戦している。まだ貴花田だが、
勝って歴史的一番となった。

<貴乃花>

逆にA級横綱誕生の最小間隔は大錦から栃木
山までの1年である。大錦が横綱で初の本場
所に登場したとき、栃木山はすでに大関だっ
た。ともに出羽ノ海(当時はノの字があった)
部屋であったため、対戦はなかった。次が
栃錦から初代若乃花までの3年2カ月である。
栃錦の前相撲が1939年1月、若乃花の前相撲
が1946年11月である。これだけの開きがあり
ながら後年栃若時代を築いたことに驚愕する。

<栃錦のブロマイド>

A級横綱の誕生平均周期は約6年10カ月で
ある。次のA級横綱はいつどういう形で生ま
れるのか。時間の歯車は何事もなくまわって
いる。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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