下記は昭和20年夏場所の大関・関脇の成績
である。関脇千代ノ山は大関に昇進する。
翌場所の大関の番付を予想せよ。
佐賀ノ花7-8大関増位山13-2優勝
千代ノ山12-3関脇
答は
増位山 大関 千代ノ山
佐賀ノ花張出
である。
もう1問。
昭和62年五月場所。翌場所の大関の番付を
予想せよ。関脇小錦は大関に昇進。大関北勝
海は横綱に昇進している。
北勝海13-2大関大乃国15-0優勝
朝潮 8-7張出若嶋津4-9-2
北天祐 全休 張出
小錦 12-3関脇
答は
大乃国 大関 小錦
朝潮 張出 若嶋津
張出 北天祐
である。なお、若嶋津はこの場所引退して
いる。
系統別総当たりが定着したのは昭和22年秋
場所からである(戦前の一時期もある)。
大関に負け越しがでた場所で、新大関が誕生
したとき、翌場所の大関の番付で新大関は
負け越し大関の上位に位置していた。
昭和20年代 2例
昭和30年代 8例
昭和40年代 4例
昭和50・60年代7例
平成初期 1例
平成10年代 4例
ところが、きたる三月場所、専門誌相撲の
予想番付は下記である。
正代 大関 貴景勝
大関 御嶽海
つまり関脇優勝御嶽海は負け越し大関正代・
貴景勝の風下に立つわけである。
これは前例にならったものである。ではその
前例はいつから始まったものか。それは平成
14年一月場所からである。その前の場所の
大関・関脇の成績は下記である。
武双山8-7大関千代大海 全休
魁皇 10-5大関
栃東 12-3関脇
翌場所は
魁皇 大関 武双山
千代大海 大関 栃東
となった。
昭和22年秋場所から平成12年まで続いた成績
重視制は一夜にして新大関は末尾につく機械
的処理に変わったわけである。それは栃東
から始まった。問題はどちらが合理的である
か。
朝青龍が大関に昇進するときは3人の先輩
大関が負け越しであった。
魁皇0-4-11 大関 千代大海14-1優勝
栃東3-2-10 大関 武双山 全休
朝青龍12-3 関脇
それでも朝青龍は末尾につけられた。もっ
とも朝青龍は3場所で大関を通過して横綱に
昇進した。先輩4大関をおきざりにしたので
ある。
新大関のポジションが機械的に末尾になって
20年弱が経過した。それよりはるかに長い
成績本位の番付を知る者にとってはなんとも
合点がいかない現状がある。
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