下記は昭和20年夏場所の大関・関脇の成績
である。関脇千代ノ山は大関に昇進する。
翌場所の大関の番付を予想せよ。
佐賀ノ花7-8大関増位山13-2優勝
千代ノ山12-3関脇
答は
増位山 大関 千代ノ山
佐賀ノ花張出
である。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/02/千代.jpg)
もう1問。
昭和62年五月場所。翌場所の大関の番付を
予想せよ。関脇小錦は大関に昇進。大関北勝
海は横綱に昇進している。
北勝海13-2大関大乃国15-0優勝
朝潮 8-7張出若嶋津4-9-2
北天祐 全休 張出
小錦 12-3関脇
答は
大乃国 大関 小錦
朝潮 張出 若嶋津
張出 北天祐
である。なお、若嶋津はこの場所引退して
いる。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/02/小錦-e1644542462308.jpg)
系統別総当たりが定着したのは昭和22年秋
場所からである(戦前の一時期もある)。
大関に負け越しがでた場所で、新大関が誕生
したとき、翌場所の大関の番付で新大関は
負け越し大関の上位に位置していた。
昭和20年代 2例
昭和30年代 8例
昭和40年代 4例
昭和50・60年代7例
平成初期 1例
平成10年代 4例
ところが、きたる三月場所、専門誌相撲の
予想番付は下記である。
正代 大関 貴景勝
大関 御嶽海
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/02/220126御嶽海大関へ-288-e1644542482925.jpg)
つまり関脇優勝御嶽海は負け越し大関正代・
貴景勝の風下に立つわけである。
これは前例にならったものである。ではその
前例はいつから始まったものか。それは平成
14年一月場所からである。その前の場所の
大関・関脇の成績は下記である。
武双山8-7大関千代大海 全休
魁皇 10-5大関
栃東 12-3関脇
翌場所は
魁皇 大関 武双山
千代大海 大関 栃東
となった。
昭和22年秋場所から平成12年まで続いた成績
重視制は一夜にして新大関は末尾につく機械
的処理に変わったわけである。それは栃東
から始まった。問題はどちらが合理的である
か。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/02/06初 二日目-123.jpg)
朝青龍が大関に昇進するときは3人の先輩
大関が負け越しであった。
魁皇0-4-11 大関 千代大海14-1優勝
栃東3-2-10 大関 武双山 全休
朝青龍12-3 関脇
それでも朝青龍は末尾につけられた。もっ
とも朝青龍は3場所で大関を通過して横綱に
昇進した。先輩4大関をおきざりにしたので
ある。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/02/090927千秋楽幕内-2340パレード-e1644542514792.jpg)
新大関のポジションが機械的に末尾になって
20年弱が経過した。それよりはるかに長い
成績本位の番付を知る者にとってはなんとも
合点がいかない現状がある。
新しい画像ソフトを試しています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。