MENU

昭和20年からの初日千秋楽の曜日

昭和20年夏場所は軍部の命令で開催された。
東京健在を示すのが目的であった。物資の
乏しい時代で塩、紙、桶、柱がなく、そろ
えるのはたいへんな苦労をともなった。場所
はわずか7日間。天井をぶち抜かれ、破損
された国技館で十両以上の取組が実施された。
幕下以下は春日野(元栃木山)部屋でおこ
なわれた。初日木曜、千秋楽水曜だが、非公
開なのであまり関係なかった。

昭和20年8月15日終戦を迎えた。国技館は
焼けたただれ、応急処置はしたものの、雨の
日は興行できなかった。その中で11月に秋
場所が開催された。この場所は16尺の土俵が
使用されたが、力士からは不評で1場所で
15尺に戻された。千秋楽は日曜の予定だった
が、雨で順延が1日あり、月曜にずれた。

<旧両国国技館の絵ハガキ>

国技館は占領軍に接収され、メモリアルホー
ルに改称された。協会は再三使用を申しいれ、
11月に借用できることになった。昭和21年
秋場所は13日間開催されることになった。
初日水曜、千秋楽月曜であった。ただ、人気
はいまいちだった。これがやがて記者の知恵
を借り、優勝決定戦制度、東西制から系統別
へ、三賞制度へと展開していくことになった。

相撲協会はメモリアルホールの使用を願い
出たが、ついに許可されることはなかった。
接収されていた明治神宮外苑相撲場の使用が
許可された。明治神宮外苑相撲場の晴天興行
が22年夏場所から23年夏場所まで3場所開催
された。いずれも雨天にあい、千秋楽は順延
となっている。

<明治神宮外苑相撲場絵ハガキ>

15日制が定着したのは昭和24年の夏場所から
であった。ただし、初日・千秋楽日曜はまだ
定着していなかった。初日土曜、千秋楽土曜
もしばらくあった。それでは初日日曜、千秋
楽日曜はいつから定着したのか。これがおわ
かりならあなたは相撲通である。それは蔵前
国技館が完成した昭和29年秋場所からである。
ここから始まり、昭和天皇が亡くなられ、
喪に服したとき以外は現在にいたっている。

<蔵前国技館絵ハガキ>

古いしくじり先生の録画をみました。
興味深いテーマをこれからもお届けします

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次