大相撲

横綱誕生!そのとき次の横綱の地位は 1

横綱照ノ富士が誕生した。2017年三月場所、
稀勢の里が横綱でデビューしたとき照ノ富士
は大関だった。ただし、その後序二段まで
番付を落としたことはよく知られている。
照ノ富士は例外としても、横綱が誕生し、
デビューしたとき、次期横綱は番付ではどの
地位にいたのか、調べてみた。

横綱が実質地位化したのは常陸山以降である。
そこで常陸山以降の東京横綱を対象とした。
まず明治・大正・昭和戦前が以下である。
横綱が誕生し、デビューした場所で次期横綱
が大関というのは当然といえば当然である。
そのケースは15人中9人いる。大錦の横綱
デビュー場所、次期横綱の栃木山は新大関
だった。栃木山は大関2場所、最高成績を
あげて横綱に昇進した。

男女ノ川の横綱デビュー場所、次期横綱の
双葉山が関脇で初優勝した。双葉山は69連勝
の途上であった。双葉山が横綱になり、無敵
となるのは時間の問題であった。同じく次期
横綱が関脇であったのは源氏山(後の3代目
西ノ海)である。ただし、源氏山は負け越し
ている。源氏山が横綱になるのは栃木山が
横綱デビュー後の5年後であった。

<双葉山のブロマイド>

横綱デビュー後次期横綱が平幕だった力士は
太刀山・鳳・羽黒山である。太刀山は平幕
3場所、 関脇5場所、大関4場所を経て横綱
に。鳳は平幕の翌場所は小結、さらに関脇を
経て大関になった。大関5場所で横綱に昇進
した。羽黒山は8場所後横綱でデビューした。

<太刀山のブロマイド>

常ノ花が横綱デビューしたとき次の東京横綱
玉錦は幕下だった。玉錦が横綱になるまで
約8年8ヵ月が経過していた。玉錦は3連覇
しても横綱になれなく、不遇であった。けん
か玉と呼ばれるほど粗暴であったが、稽古
熱心でボロ錦とも呼ばれた。春秋園事件で
力士が離れていく中、最後まで協会に残った
こともあり、ようやく横綱になれた。

<玉錦のブロマイド>

(この項目続く)

寝苦しい夜でした。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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