戦後、昭和30年代、40年代の琴櫻までをみて
いこう。横綱最初の場所、そのとき次期横綱
は15人。そのうち大関の地位にいたのは8人
である。戦後の群雄割拠の時代、大関でちょっ
と強ければ横綱になれた時期であった。佐田
の山は大鵬がいて横綱になるのに苦労した。
琴櫻の2場所後に横綱輪島は誕生した。新旧
交代期であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/08/次期横綱の地位2A-e1627880436165.jpg)
東富士の横綱デビュー場所、千代ノ山はまだ
関脇であった。だが、3場所後は大関になり、
連続優勝している。栃若時代といわれるが、
栃錦が横綱のとき、若ノ花はまだ関脇だった。
若ノ花の大関昇進は1年後であった。栃若
時代は若ノ花のスピード出世で栃錦を猛追
したことが大きかった。大鵬の横綱デビュー
場所、栃ノ海は関脇だった。技能派で技能賞
の常連であった。横綱は2年2場所後であっ
た。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/08/45代横綱-初代若乃花.jpg)
佐田の山が横綱になったとき、北の富士は
関脇であった。この当時、北の富士にとって
佐田の山は兄弟子であった。元千代の山の
九重が北の富士らを連れて出羽海部屋から
独立するのは約2年弱後であった。佐田の山
が横綱になったとき、北の富士のライバル
玉乃島はまだ前頭3枚目であった。北玉が
横綱になるのは佐田の山の横綱から5年後で
あった。佐田の山の大関在位17場所は長いと
いわれていた。だが、北の富士の大関在位は
21場所、玉乃島は20場所に及んだ。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/08/きたの-e1627880461729.jpg)
朝潮が横綱になったとき、柏戸は前頭4枚目
であった。入幕5場所目であった。この場所
から3場所後新小結、翌場所も小結を務めて
関脇3場所で大関に昇進した。大関は7場所
務め、大鵬と抱き合わせで横綱に昇進した。
大鵬にいたっては十両20枚目であり、新十両
であった。十両4場所で入幕すると初日から
11連勝と大鵬は一躍時の人となった。期待
以上のホープであった。入幕6場所で大関に、
大関5場所で横綱に昇進した。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/08/大 鵬。.jpg)
時代はさらに輪湖、千代の富士、貴乃花、
朝青龍、白鵬へと移っていく。
夏ばてです。
興味深いテーマをこれからもお届けします。