大相撲

横綱誕生!そのとき次の横綱の地位は 2

戦後、昭和30年代、40年代の琴櫻までをみて
いこう。横綱最初の場所、そのとき次期横綱
は15人。そのうち大関の地位にいたのは8人
である。戦後の群雄割拠の時代、大関でちょっ
と強ければ横綱になれた時期であった。佐田
の山は大鵬がいて横綱になるのに苦労した。
琴櫻の2場所後に横綱輪島は誕生した。新旧
交代期であった。

東富士の横綱デビュー場所、千代ノ山はまだ
関脇であった。だが、3場所後は大関になり、
連続優勝している。栃若時代といわれるが、
栃錦が横綱のとき、若ノ花はまだ関脇だった。
若ノ花の大関昇進は1年後であった。栃若
時代は若ノ花のスピード出世で栃錦を猛追
したことが大きかった。大鵬の横綱デビュー
場所、栃ノ海は関脇だった。技能派で技能賞
の常連であった。横綱は2年2場所後であっ
た。

<若乃花のブロマイド>

佐田の山が横綱になったとき、北の富士は
関脇であった。この当時、北の富士にとって
佐田の山は兄弟子であった。元千代の山の
九重が北の富士らを連れて出羽海部屋から
独立するのは約2年弱後であった。佐田の山
が横綱になったとき、北の富士のライバル
玉乃島はまだ前頭3枚目であった。北玉が
横綱になるのは佐田の山の横綱から5年後で
あった。佐田の山の大関在位17場所は長いと
いわれていた。だが、北の富士の大関在位は
21場所、玉乃島は20場所に及んだ。

<北の富士?

朝潮が横綱になったとき、柏戸は前頭4枚目
であった。入幕5場所目であった。この場所
から3場所後新小結、翌場所も小結を務めて
関脇3場所で大関に昇進した。大関は7場所
務め、大鵬と抱き合わせで横綱に昇進した。
大鵬にいたっては十両20枚目であり、新十両
であった。十両4場所で入幕すると初日から
11連勝と大鵬は一躍時の人となった。期待
以上のホープであった。入幕6場所で大関に、
大関5場所で横綱に昇進した。

<大鵬>

時代はさらに輪湖、千代の富士、貴乃花、
朝青龍、白鵬へと移っていく。

夏ばてです。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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