約1カ月ぶりの再開です。引き続きご愛読
よろしくお願い致します。
■大鵬
・優勝した前場所負け越し13・15・16・17・
19・20例目
・優勝した翌場所負け越し26・28・32例目
優勝32回を誇る大鵬だが、前場所負け越し
ての優勝が6回ある。全休後が4回、途中
休場後が2回ある。大鵬は王者といわれて
きたが、休場後よく優勝したので不死鳥とも
いわれた。
最初の休場後の優勝は14回目のときであった。
17例目の休場後の優勝は45連勝(誤審でスト
ップ゚)の始まりであった。20例目の全休後
の優勝は新横綱北の富士・玉の海を抑えての
優勝だった。昭和45年三月場所であった。
この場所のポスターは新横綱の北の富士・
玉の海だけで大鵬はまったく触れられていな
かった。大鵬意地の31回目の優勝だった。
大鵬は優勝した翌場所休場したことが3回
あった。そのうち32例目は誤審で45連勝を
ストップされた場所であった。昭和43年九月
場所、5場所連続休場あけの大鵬は、初日
栃東に敗れた。翌日から連勝はスタートし、
44まで伸ばした。迎えた昭和44年三月場所、
相撲ファンの最大の関心事は大鵬の連勝に
あった。
初日、曲者藤ノ川を一蹴して45連勝。世紀の
大誤審はこの直後におきた。新鋭の戸田(後
の羽黒岩)は立ち合いから猛然と大鵬を押し
たてた。大鵬後退。後退しながら東土俵から
正面にまわりこんだ。なおも押し立てる戸田
だが、まわり込んだ大鵬を押すとき右足が
土俵の外の砂をはねた。直後に大鵬が正面
土俵を割った。
軍配は大鵬にあがった。控えの高鉄山も戸田
の足が出たと主張。だが、5人の審判=審判
長の元栃錦の春日野、元栃光の千賀ノ浦、
元鶴ヶ嶺の君ヶ浜、元羽島山の松ヶ根、元羽
黒花の玉垣は戸田の勝ちと判定した。世紀の
大誤審の瞬間であった。汚点を残してビデオ
判定が導入されることになった。
■北の富士
・優勝した翌場所負け越し27・33例目
・優勝した前場所負け越し21例目
元常ノ花-元出羽ノ花と引き継がれた出羽海
の座。次の出羽海はおれだ。と思っていたの
が元千代の山の九重だった。だがそれを打ち
砕く事態が発生した。横綱佐田の山の元出羽
ノ花の出羽海である市川家への婿入りであっ
た。さらに、部屋の名義は佐田の山になって
いた。これで九重の出羽海継承の目は完全に
なくなった。
九重は同郷北海道の北の富士らの気持ちを
確認し、独立することになった。当時出羽海
には独立を許さず、という不文律があった。
九重は破門というカタチで独立した。昭和42
年一月場所後のことであった。北の富士は
当時大関であったが、独立直後に劇的な初優
勝を飾った。当時大鵬は6連覇中であった。
涙の師匠九重と北の富士ががっちり握手した
シーンは忘れられない歴史的瞬間であった。
ただ、この翌場所北の富士は油断からか負け
越している。
昭和47年、北の富士は不調・乱丁であった。
途中休場-9勝6敗-途中休場-全休と完全
に追いつめられていた。奮起した北の富士は
九月場所全勝優勝して復活した。9回目の
優勝であった。
治安の悪い外国が目に入りました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。