大相撲

横綱フル出場なしの場所8

■平成20年代 なし
■平成30年代 3回

平成30年七月場所、横綱稀勢の里は全休、
鶴竜と白鵬は途中休場した。大関は3人いた
が栃ノ心は途中休場、豪栄道10勝、高安9勝
で優勝争いに加われなかった。優勝戦線に
浮かびあがったのは関脇御嶽海であった。
当時25歳で、関脇・小結連続在位9場所目で
あった。この記録は結局17場所続いた。優勝
争いは独走に近く、14日目で優勝を決めた。
同時に殊勲賞・技能賞を獲得している。しか
し、翌場所は1ケタの9勝に終わり、大関を
逃している。

<優勝御嶽海 旗手栃煌山>

平成30年十一月場所、横綱白鵬・鶴竜は全休。
稀勢の里は序盤戦4連敗すると途中休場して
しまった。優勝は大関高安と小結貴景勝の間
で争われた。両力士の直接の対戦は14日目に
実現した。高安2敗、貴景勝1敗で激突した。
立ち合い、貴景勝があたり勝った。突き押し
で追撃する。だが、貴景勝の前から高安が
一瞬いなくなってしまって、前に落ちた。
貴景勝は相撲に勝って勝負に負けた。

<高安相手に勝利が逃げた貴景勝>

千秋楽、2敗の貴景勝は錦木と対戦した。
突き合い、押し合いの激しい相撲の末、貴景
勝がはたき込みで勝った。2敗高安は関脇
御嶽海と対戦した。御嶽海はいつもの御嶽海
ではなかった。ここぞとばかりに攻め込む
高安をすくい投げで土俵にはわせた。かく
して優勝決定戦はなく、貴景勝の初優勝が
決まった。

<優勝貴景勝 旗手隆の勝>

平成31年一月場所、横綱稀勢の里は引退した。
横綱鶴竜は6日目から、白鵬は14日目から
休場した。千秋楽を迎え、優勝は2敗玉鷲、
3敗貴景勝の争いにしぼられた。両力士の
直接の対戦は3日目におこなわれ、貴景勝が
勝っている。千秋楽の玉鷲は前頭9枚目10勝
4敗の遠藤戦が組まれた。玉鷲にとって必ず
しもやりにくい相手ではない。勝負は玉鷲が
突きたててからの強烈な突き落としで優勝を
決めた。苦節15年玉鷲は輝く初優勝を自力で
勝ち取った。

<優勝玉鷲 旗手輝>

■令和 7回

令和元年九月場所、横綱白鵬・鶴竜は途中
休場した。大関は3人いたが、高安全休、
栃ノ心負け越し、豪栄道10勝であった。優勝
は関脇御嶽海と大関を降格した関脇貴景勝で
争われた。御嶽海は関脇・小結連続在位16
場所目であった。本割では貴景勝が8日目に
勝っている。結局両力士12勝3敗で優勝決定
戦になった。決定戦では勝負中に貴景勝が
胸を痛め、御嶽海が2回目の優勝となった。
貴景勝は大関復帰に復帰した。

<優勝決定戦で貴景勝に勝った御嶽海>

横綱フル出場なしの場所1で書いたように
令和2年以降は記憶が新しいので、優勝者の
再列記に留めておく。

令和2年
一月 幕尻徳勝龍
※五月場所は中止
七月 幕尻照ノ富士
九月 関脇正代
十一月大関貴景勝
令和3年
一月 前1大栄翔
三月 関脇照ノ富士

横綱フル出場なしの場所での地位別優勝は
以下である。大正14年以前優勝制度のない
時代は最高成績とした。令和2年以降と
異なり、大関が圧倒的に多かった。

横綱1回(休場しても最高成績だった)
大関40回
関脇10回
小結1回
前頭上位3回
前頭中位以下4回

きたる五月場所も横綱のフル出場はない。
大関はときには横綱以上の存在価値を発揮
していただきたい。

(この項目終わり)

コロナの感染者数がなかなか減りません。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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