大相撲

横綱その引退

横綱審議委員会で何が話され、発表される
のか注目していた。いまや横綱といっても
白鵬一人である。年齢は36歳で現在5場所
連続休場中。五月場所の休場も明言している。
横綱審議委員会は昨年の十一月場所後に引き
続き、注意をうながしたという。これは七月
場所に白鵬が進退をかけるということを確認
したうえでの決議であった。

<白鵬>

横綱の引退は横綱審議委員会の発言によって
本来決めるものではない。それがまかり通っ
ているのはいかに自分で引退の決断がくだせ
ないかを物語っている。実質横綱が 地位化
したのは常陸山以降である。東京横綱の休場
にともなう引退は以下の場所数である。なお、
引退した場所は含んでいない。

■明治・大正
常陸山3場所休場後
2梅ヶ谷5場所休場後
太刀山2場所休場後
鳳 2場所休場後
2西ノ海4場所休場後
大錦0
栃木山0
3西ノ海8場所休場後

年2場所の時代である。3代目西ノ海は4年
にわたって休場したことになる。大錦は三河
島事件の責任を取って髷を切ったし、栃木山
は最高成績を3場所続けたあと引退している。

<3代目西ノ海のブロマイド>

■戦前
常ノ花場所中に引退
宮城山負け越しで引退
玉錦現役中死亡
武蔵山2場所後 (横綱皆勤は1場所)
男女ノ川最後は9勝6敗で引退
双葉山3場所休場後
羽黒山3場所休場後、6場所中5場所休場
安芸ノ海1場所休場後
照国 3場所休場後

常ノ花は場所中引退した初の横綱である。
宮城山は東西合併のとき大阪横綱であった。
実力は小結程度であった。最後の場所は東西
制のもと5勝6敗で負け越して引退している。
武蔵山は沖ツ海戦で破壊された右腕のため、
横綱皆勤1場所で終わっている。

<武蔵山のブロマイド>

■戦後
前田山1場所休場後
東富士4場所休場後
千代の山3場所休場後
鏡里0
吉葉山1場所休場後
栃錦0
1若乃花1場所休場後
朝潮 2場所休場後

前田山は横綱になって不成績続きだった。
休場中に日米野球を観戦して引退させられた。
栃錦が大関で連続優勝したため、横綱昇進が
決定した。当時横綱は東富士、千代の山、
鏡里、吉葉山と4人いた。栃錦が横綱になっ
て5横綱になるところ。だが、5横綱はいけ
ないと東富士が引退した。

<東富士のブロマイド>

鏡里は朝日新聞の記者に横綱責任が果たせ
ないのは10勝できないときと言質をとられた。
鏡里は10勝できなかったため引退せざるを
えなくなった。栃錦は6場所で81勝9敗を
あげながら、初日、2日目と連敗するとあっ
さり引退してしまった。

<鏡里のブロマイド>

■年6場所制昭和
大鵬0
柏戸0
栃ノ海3場所休場後
佐田の山0
北の富士3場所休場後
玉の海現役中死亡
琴櫻 1場所休場後
輪島0
北の湖2場所休場後
2若乃花1場所休場後
三重ノ海2場所休場後

柏戸は9勝6敗の成績が目立ってきていた。
横綱が誕生しないだけにがんばっていたが
限界がきた。一人横綱となった大鵬に「大鵬
関すまない」という気持ちでいっぱいだった。

<柏戸>

佐田の山は2場所連続優勝後引退してしまっ
た。師匠であり、義父であり、理事長である
武蔵川(元出羽ノ花)が帝王学を授けるため
か、という見方があった。

北の湖はそうとう衰えていたが、新国技館に
あがるまでがんばってみた。それでも2日間
取れただけで連敗して引退した。

<北の湖>

■昭和から平成
千代の富士2場所休場後
隆の里2場所休場後 7場所中6場所休場
双羽黒0
北勝海4場所休場後
大乃国1場所休場後    12場所中7場所休場

双羽黒は昭和に誕生した横綱で、昭和で終わ
った横綱だった。師匠である元安念山の立浪
と対立し、現役のまま相撲界を去っていった 。
便宜上ここに入れた。千代の富士は年6場所
制で36歳直前まで相撲を取った。大乃国は
横綱不成績が目立ち、師匠である元魁傑の
放駒が決断を下した。28歳だった。

<双羽黒>

■平成
旭富士2場所休場後
曙  1場所休場後
貴乃花1場所休場後 9場所中8場所休場
3若乃花2場所休場後
武蔵丸6場所休場後
朝青龍0
白鵬6場所休場予定
日馬富士0
鶴竜 5場所休場中に引退
稀勢の里1場所休場後 横綱皆勤2場所

曙は優勝した翌場所全休して引退した。師匠
の元高見山の東関との仲はうまくいってなか
ったようだ。貴乃花は最後の優勝となった
2001年五月場所、武双山戦での致命的な負傷
により7場所連続全休。1場所皆勤後再び
全休。翌場所引退した。

朝青龍と日馬富士は不祥事による引退だった。
特に朝青龍は優勝直後であり、まだ29歳だっ
た。稀勢の里は新横綱でおった負傷が最後
までたたり、満足な土俵が務められなかった。
最後は不戦敗を含め3場所に渡る出場10連敗
で引退した。

<朝青龍>

白鵬は年齢的にも長く務めることは難しい。
横綱不在は近いかもしれない。

場所の疲れがまだ残っています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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