大相撲

昭和・平成の横綱ベスト15 上

以前昭和・平成の横綱ベスト10を選出した。
その基準は以下であった。

1.時代を築いた横綱
2.相撲に対する真剣度
3.実績

そして選んだ横綱は次である。
1位 双葉山  
2位 白鵬   
3位 大鵬   
4位 貴乃花  
5位 玉錦   
6位 北の湖  
7位 千代の富士
8位初若乃花  
   栃錦  
9位    
10位 朝青龍  

詳細は

https://dohyounomokugekisya.net/

をクリックして記事を検索欄に「横綱ベスト
10」を入力してご覧いただきたい。今回は
その続き11位から15位までを選出みることに
した。基準は以下である。

1.強豪横綱であること
2.相撲に対する真剣度
3.実績

<羽黒山のブロマイド>

まず真っ先に3人の横綱の名が思い浮かんだ。
羽黒山、玉の海、輪島である。羽黒山は双葉
山の弟弟子で双葉山の陰に隠れた一面がある。
同じ立浪部屋で対戦することもなかった。
対戦していれば負けていた可能性もあるが、
「ひょっとよしたら、羽黒山は、双葉山より
強いのでは」という声もあった。左四つ両
まわしを取ると相手が浮きあがった。戦後
4連覇した実力と強さは一級。横綱優勝6回、
横綱優勝勝率20%、横綱勝率7割7分8厘。
アキレス腱2度切断の不運がなければと惜し
まれる。

<玉の海>

玉の海は現役で亡くなられたため、実績の面
では弱いが、取った相撲は腰で取る本格相撲
だった。双葉山の相撲と比較できる楽しみが
見え初めていた。玉の海最後の場所となった
昭和46年九月場所7日目、角界のプリンス
貴ノ花戦は歴史的一番となった。貴ノ花の
双差し速攻からの外掛けをくって、玉の海の
腰がくずれた。だが、もう一つの腰で残し、
貴ノ花の両腕を抱えて土俵下にほうり出した
のである。二枚腰が発揮された瞬間であった。
二枚腰という言葉は知っていたが、どこか
ぴんとこなかった。だが、玉の海が見せて
くれたのは紛れもなく、二枚腰であった。

<玉の海>

玉の海は八百長がほとんどなかった実直な
横綱であった。青年横綱玉の海の急死。それ
はあまりにも衝撃的で、深い悲しみの出来事
だった。日本中の大相撲ファンが悲しみに
くれた。まだ取り盛り、双葉山の域にどこ
まで近づけるか。そんな楽しみ、可能性さえ
失ってしまった。27歳で亡くなるという悲劇
さえなければ玉の海時代は間違いなく到来
した。輪島、北の湖の台頭はもう少し後に
なった。横綱優勝4回、横綱優勝率40%、
横綱勝率8割6分7厘。

ここはまず、羽黒山を11位、玉の海を12位
とした。

(この項目続く)

お笑い番組をよく見ます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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