九月場所、炎鵬は中日まで1勝7敗だった。
まったくいいところがなく、重量級に押し
つぶされそうな一方的な相撲内容が続いた。
このままでは十両落ちかと思わせるほど、
不振であった。小さい炎鵬がいっそう小さく
見えてしまった。後半立ち合いの変化など
多少もち直して6勝9敗にもちこんだ。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/10/200919七日目幕内-372-e1603064455571.jpg)
新型コロナウイルスによる部屋稽古の影響
であろうか。なにか故障をかかえていたの
だろうか。相撲を覚えられてしまったのだ
ろうか。小兵力士と対戦するときはあわてず、
よく見て攻める、というセオリーがある。
いずれにせよ、炎鵬はこれらを突破しなく
ては現状を脱出できない。
かつて元栃錦の春日野は「私はマムシ、若乃
花(初代)は鬼と呼ばれました。旭國はピラ
ニアと呼ばれていますが、小兵力士にこう
いうニックネームがつけば、しめたものです」
と挨拶したことがあった。炎鵬はそこまで
いっていない。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/10/200923十一日目幕内-251-e1603064478485.jpg)
その栃錦は小兵の取るべき相撲をこう指摘
している。
1.動くこと。動きの中で勝機をみつける
こと。
2.組まれてもつかまれても離れること。
1については当時栃錦には無駄な動きがある、
と論評された。これは適評であると同時に
酷評であった。栃錦としてはとにかく動か
ない限り、勝利に結びつかなかったのである。
2については、今の人は組まれたら離れられ
ないと思いがちであるが、けしてそんなこと
はない。栃錦は上手出し投げ、二枚蹴りを
駆使して離れた。「今の力士は研究が足り
ない」と栃錦はかつて苦言を呈していた。
また横綱東富士には3度まともにぶつかって
3連敗した。東富士に栃錦はまともにくるな
と思わせて、4度目はけたぐりで勝った。
布石をうっておいての勝利だった。「1度
横綱に勝つと、お客さんは次の対戦から注目
してくれます」と語っている。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/10/栃-錦.jpg)
舞の海に対して師匠の元佐田の山は「何を
やってもいい」と言ってくれた。炎鵬はこう
した先人の言葉をバックに取組んでみては
いかがだろうか。合同稽古に炎鵬の情報は
聞かれないが、現状をぜひ打破していただき
たい。
どこのチャンネルにしても大相撲中継という
時代がありました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。