大相撲

炎鵬の今後

九月場所、炎鵬は中日まで1勝7敗だった。
まったくいいところがなく、重量級に押し
つぶされそうな一方的な相撲内容が続いた。
このままでは十両落ちかと思わせるほど、
不振であった。小さい炎鵬がいっそう小さく
見えてしまった。後半立ち合いの変化など
多少もち直して6勝9敗にもちこんだ。

<つぶされた琴奨菊戦>

新型コロナウイルスによる部屋稽古の影響
であろうか。なにか故障をかかえていたの
だろうか。相撲を覚えられてしまったのだ
ろうか。小兵力士と対戦するときはあわてず、
よく見て攻める、というセオリーがある。
いずれにせよ、炎鵬はこれらを突破しなく
ては現状を脱出できない。

かつて元栃錦の春日野は「私はマムシ、若乃
花(初代)は鬼と呼ばれました。旭國はピラ
ニアと呼ばれていますが、小兵力士にこう
いうニックネームがつけば、しめたものです」
と挨拶したことがあった。炎鵬はそこまで
いっていない。

<逆転した志摩ノ海戦>

その栃錦は小兵の取るべき相撲をこう指摘
している。
1.動くこと。動きの中で勝機をみつける
こと。
2.組まれてもつかまれても離れること。
1については当時栃錦には無駄な動きがある、
と論評された。これは適評であると同時に
酷評であった。栃錦としてはとにかく動か
ない限り、勝利に結びつかなかったのである。
2については、今の人は組まれたら離れられ
ないと思いがちであるが、けしてそんなこと
はない。栃錦は上手出し投げ、二枚蹴りを
駆使して離れた。「今の力士は研究が足り
ない」と栃錦はかつて苦言を呈していた。

また横綱東富士には3度まともにぶつかって
3連敗した。東富士に栃錦はまともにくるな
と思わせて、4度目はけたぐりで勝った。
布石をうっておいての勝利だった。「1度
横綱に勝つと、お客さんは次の対戦から注目
してくれます」と語っている。

<栃錦のブロマイド>

舞の海に対して師匠の元佐田の山は「何を
やってもいい」と言ってくれた。炎鵬はこう
した先人の言葉をバックに取組んでみては
いかがだろうか。合同稽古に炎鵬の情報は
聞かれないが、現状をぜひ打破していただき
たい。

どこのチャンネルにしても大相撲中継という
時代がありました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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