引き続き鳥類の文字を含む四股名を以下の
条件のもとで紹介していこう。
1.動物といっても竜(龍)、麒麟、鳳、
鵬などの伝説や空想上の動物は含めなかった。
2.鯱はしゃちと読む四股名は入れ、しゃち
ほこと読む四股名は入れなかった。
3.獅子はライオンの別称ということで含め
た。唐獅子(そういう四股名はなかったが)
は別物とした。
4.四股名は最終の名を原則採用したが、
もっとも通っている名にしたものもあった。
5.対象は、番付が現存する宝暦7年10月
以降の江戸・東京の幕内(上段)力士とした。
なお、宝暦 以降の江戸の元号は以下である。
宝暦 1751年~1764年
明和 1764年~1772年
安永 1772年~1781年
天明 1781年~1789年
寛政 1789年~1801年
享和 1801年~1804年
文化 1804年~1818年
文政 1818年~1830年
天保 1830年~1844年
弘化 1844年~1848年
嘉永 1848年~1854年
安政 1854年~1860年
万延 1860年~1861年
文久 1861年~1864年
元治 1864年~1865年
慶応 1865年~1868年
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/10/180325千秋楽表彰-1163-e1603154324388.jpg)
鶴は多く、13種類あった。現代なら鶴竜が
真っ先に浮かぶであろう。
江戸時代は以下である。
鶴ヶ滝
鶴渡
輸鶴羽
鶴翼
友鶴
真鶴
舞鶴
鶴ヶ峰
鶴ヶ滝は天明と慶応に見られる。天明の鶴ヶ
滝は上段2場所で終わった力士である。もう
一人は入幕したときは大勇だったが、のちに
以前の四股名の鶴ヶ滝に戻している。鶴渡は
看板大関として付け出されたが、実力もそこ
そこあった。1度改名して再び鶴渡を名のっ
た。この四股名は時を経て、明治末から大正
にかけて活躍した鶴渡がいる。大関西ノ海、
大関大錦に勝ったことがある。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/10/ 鶴渡り-e1603154349269.jpg)
輸鶴羽はゆづるはと読む。寛政と文化入幕の
2人がいる。後者は大阪相撲から来たため、
幕内前頭5枚目付け出し。寛政入幕の輸鶴羽
の師匠名を名のった。鶴翼は寛政入幕と天保
入幕の2人いる。後者は幕尻に付け出される
も出場記録なし。看板力士だった。友鶴は
文化の力士である。
真鶴は4人いる。文化に入幕した真鶴は関脇
まで出世した。安政に入幕した真鶴、明治の
真鶴、昭和戦前の真鶴がいる。小結までいっ
た。舞鶴は3人いる。文化の舞鶴は出場記録
があるものの、安政3年と安政6年に名前が
見える舞鶴は出場することがなかった看板
力士であった。鶴ヶ峰は嘉永安政にかけての
力士であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/10/鶴ヶ嶺先代.jpg)
明治以降は5種類ある。
鶴ヶ濱
鶴ヶ嶺
大真鶴
鶴竜
隆の鶴
鶴ヶ濱は3人いた。そのうち2人は明治で
ある。最初の鶴ヶ濱は玉鶴を改名した。2人
目の鶴ヶ濱は鶴の子を改名している。3人目
は大正の力士であった。最高位は小結であっ
た。鶴ヶ嶺は2人いる。井筒部屋を再興した
鶴ヶ嶺道芳とその弟子鶴ヶ嶺昭男である。
鶴ヶ嶺昭男は技能賞10回、逆鉾、寺尾の父で
知られている。大真鶴は平成の力士である。
幕内1場所で終わっているだけに印象は薄い
かもしれない。鶴竜は説明無用。隆の鶴は
横綱隆の里の弟子で、田子ノ浦部屋の師匠で
ある。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/10/鶴ヶ嶺.jpg)
1人の鳥類の文字を含む四股名が鷹であり、
鵆(ちどり)である。
鷹ノ海
友鵆
鷹ノ海は天明の力士で看板大関だった。友鵆
は安永に1場所だけ上段だった力士である。
友千鳥と表記した時期があった。
(この項目続く)
2人マスは密着にならない?
興味深いテーマをこれからもお届けします。