★多数の休場者を出したが
両横綱をはじめ出場停止の阿炎を含め、幕内
は10人に及んだ。石浦は途中出場、琴奨菊・
霧馬山は再出場したが、これでもかという
感じで休場力士は、留まることがなかった。
新型コロナウイルス感染者が発生した玉ノ井
部屋は部屋の力士が陰性でも不出場になった。
十両では2人、幕下以下では部屋丸ごと休場
となった。幕内の休場は、それにしても多
すぎる。幕内力士の24%に相当する。歯止め
がかからないと大相撲はもう一つ盛り上がり
に欠ける
★観客の入りについて
七月場所は14日目、千秋楽がよく入った。
九月場所は初日、七日目、中日、後半は、
マス席はよく入った。2階イス席は1階ほど
ではなかった。イス席には記者席がいくつか
設けられているが、それでもなかなか満席
にはならなかった。千秋楽はよく入った。
★優勝争いについて
上位で貴景勝と正代が争ったのはよかった。
幕内中位以下で翔猿はじめ若隆景等が争った
が、上位2敗組とは早めに対戦させる工夫が
必要である。後手にまわっていると日程が
なくなってくる。その挙句御嶽海-貴景勝、
御嶽海-正代が組まれないという事態を引き
起こしている。いつまでもこんなことを繰り
返してはいけない。
★優勝した正代に関して
正代は貴景勝、朝乃山、翔猿との直接対決で
勝利したことが優勝につながった。朝乃山戦
は特に強かった。5勝2敗から8連勝したこ
とは賞賛に値する。底力を示した。
★正代の大関について
正代が大関にふさわしいかどうかは、来場所
以降の成績で決まる。大関降格規定の「2場
所連続負け越し」に甘えると、大関になった
とたん、9勝、8勝に終始する。正代がそう
ならずに、10勝以上の成績を続け、時には
横綱以上の存在価値を示せれば、大関にふさ
わしい、といえる。
★朝乃山・貴景勝の両大関について
朝乃山は初日からの3連敗が響いた。調子を
戻してきたとはいえ、優勝争いで一歩さがっ
たポジションだった。そして正代に完敗。
このところ分がよかった貴景勝にも敗れた。
これでは優勝できない。なぜ敗れたかを分析
して次の場所に臨み、リベンジをはたすこと
である。
貴景勝は久々に優勝争いをしたが、次点で
終わった。北勝富士戦は引いて、もったい
なかった。正代との直接対決で勝てなければ、
あとは他力になる。これでは優勝できない。
初優勝から10場所経過した。このままで終わ
るとは思わないけれど、今のままでは優勝の
決定打が見えてこない。
★三賞について
殊勲・敢闘正代、敢闘翔猿となったが、若隆
景が受賞してもおかしくなかった。2人だけ
の三賞というので驚いた。
★そのほか気がついた点
翔猿の活躍で新入幕の優勝なら106年ぶり
という言葉が聞かれたが、優勝制度は大正
15年より始まっている。明治43年夏場所国
技館開設と共に始まったのは、時事新報社が
幕内最高成績者の額を国技館に掲げる制度
である。対戦相手が休場すると自分も「や」
扱いになるように不戦勝不戦敗制度はなかっ
た。取り直し制度もなく、制度的に不備の
時期だった。
★場所の採点は
50点
最後に私製番付を掲載する。これは予想番付
ではない。番付は関脇以下を編成するもの。
基本関脇以下の成績をベースにした。ただし、
大関に勝った星は加えた。横綱・大関と対戦
する、しないではそれほど違うモノなので
ある。御嶽海は8勝6敗、翔猿は11勝3敗
扱いになる。ただし、横綱・大関戦の不戦敗
は別である。
古い友人に会いました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。