七月場所は横綱鶴竜、大関貴景勝、横綱白鵬
と相次いで休場した。あまり深刻に受け止め
られなかった面があるが、看板倒れの場所と
なってしまった。
思い起こすのが昭和56年の三月場所である。
この場所は、横綱北の湖・輪島・2代目若乃
花、大関千代の富士・増位山の3横綱2大関
の番付だった。場所が始まるや1勝1敗から
輪島が突如引退した。続いて増位山が2勝
2敗から引退した。輪島33歳、増位山32歳で
あった。ともに体力の限界が理由であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/輪島.jpg)
引退にさほど驚いたということはなかった。
だが、わずか数番しか取らないで、それも
負けが込んで追い詰められていたわけでも
ないのに引退という決断に至ったことが腑に
落ちなかった。大相撲はファンあってこそ成り
立つものである。前から体力の限界を感じ
ていたのなら場所前に引退すべきであった。
出場するなら最後まで力いっぱいとって引退
すべきであった。2人の引退は中途半端な
印象しか残らなかった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/増位山-e1598487883600.jpg)
数番しか取らず、合点がいかないなか輪島・
増位山が引退したと思ったら、今度は2代目
若乃花が3勝3敗から7日目に休場してしま
った。これにはさすがに大阪の相撲ファン
及び全国のテレビ桟敷のファンは憤慨した。
土俵への不振は高まる一方であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/2代目若乃花-e1598487927491.jpg)
この場所2敗の北の湖と3敗千代の富士が
千秋楽に対戦し、北の湖が勝って21回目の
優勝を達成した。この後2横綱1大関が2場
所、3横綱0大関が1場所あった。新しく
大関に昇進したのは琴風であり、隆の里で
あった。
かつて力で抑えてきた者が、時と共に力が
衰え、新しい力によってその座を追われ、
土俵を去っていく。これが新旧交代なので
ある。現代はこの図式が見えにくい中途半端
な時期である。
使用しなくなったカメラを整理しています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。