七月場所は横綱鶴竜、大関貴景勝、横綱白鵬
と相次いで休場した。あまり深刻に受け止め
られなかった面があるが、看板倒れの場所と
なってしまった。
思い起こすのが昭和56年の三月場所である。
この場所は、横綱北の湖・輪島・2代目若乃
花、大関千代の富士・増位山の3横綱2大関
の番付だった。場所が始まるや1勝1敗から
輪島が突如引退した。続いて増位山が2勝
2敗から引退した。輪島33歳、増位山32歳で
あった。ともに体力の限界が理由であった。
引退にさほど驚いたということはなかった。
だが、わずか数番しか取らないで、それも
負けが込んで追い詰められていたわけでも
ないのに引退という決断に至ったことが腑に
落ちなかった。大相撲はファンあってこそ成り
立つものである。前から体力の限界を感じ
ていたのなら場所前に引退すべきであった。
出場するなら最後まで力いっぱいとって引退
すべきであった。2人の引退は中途半端な
印象しか残らなかった。
数番しか取らず、合点がいかないなか輪島・
増位山が引退したと思ったら、今度は2代目
若乃花が3勝3敗から7日目に休場してしま
った。これにはさすがに大阪の相撲ファン
及び全国のテレビ桟敷のファンは憤慨した。
土俵への不振は高まる一方であった。
この場所2敗の北の湖と3敗千代の富士が
千秋楽に対戦し、北の湖が勝って21回目の
優勝を達成した。この後2横綱1大関が2場
所、3横綱0大関が1場所あった。新しく
大関に昇進したのは琴風であり、隆の里で
あった。
かつて力で抑えてきた者が、時と共に力が
衰え、新しい力によってその座を追われ、
土俵を去っていく。これが新旧交代なので
ある。現代はこの図式が見えにくい中途半端
な時期である。
使用しなくなったカメラを整理しています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。