大相撲

四股名あれこれ 東西南北

東西南北のいずれか1字がつく四股名を調べ
てみた。読み方は問わず、対象は江戸・東京
の幕内力士とした。

江戸時代において東西南北の字がつく力士は
わずかしかいない。西国と東関である。西国
は、さいごくと読む。文化15年春場所幕内
付出しで名がみえるが、出場実績はない。
東関は現在年寄名になっているが、江戸時代、
2人いた。文政4年冬場所四ツ車の名前で
入幕している。改名したのは文政8年春場所
であった。最高位前頭筆頭。もうひとりは
文久2年冬場所入幕し、明治3年冬場所まで
取った関脇東関である。

<初代西ノ海>

明治にはいると誰もが知っている横綱西ノ海
が登場する。京都相撲から高砂門下に入った。
横綱免許を受けるまでに成長。番付に最初に
横綱と書かれた。なお、2代目西ノ海、3代
目西ノ海へと四股名が引き継がれている。
明治はもう一人いる。明治23年春場所入幕
した北海である。明治43年春場所まで取った。
最高位は前頭筆頭である。

<東雲のブロマイド>

大正では東雲(しののめ)がいる。小結まで
いった。昭和戦前では神東山(じんとうざん)
と東富士が入幕している。なお、富士の幕内
力士は東富士が第2号である。東富士が横綱
になって活躍するのは戦後である。

<神東山のブロマイド>

昭和戦後は関脇北の洋、東海(あずまうみ)、
大関北葉山、東錦(あずまにしき)、横綱
北の富士、北ノ國が登場する。北の洋は白い
稲妻といわれるほどの速攻相撲であった。
北の富士は優勝10回の横綱。現在の大相撲
中継の解説を務め人気がある。北海道出身
力士に「北」の文字が使われる傾向がみら
れる。

<北の富士>

昭和40年一月場所から部屋別総当たり制が
始まった。それ以降入幕した力士では関脇
栃東、北の花、横綱北の湖、関脇北瀬海が
いる。栃東は技能派で四股名は息子に引き
継がれて、息子は大関まで出世した。北の湖
は最年少横綱であり、24回の優勝を成し遂げ、
一代年寄りを贈られるほどの横綱であった。

<北の湖>

さらに大関北天佑、横綱北勝海、南海龍が
続く。ここで北を「ほく」と読む2力士が
登場する。また、初めて南が登場した。平成
では、北勝鬨、北桜、関脇北勝力、北太樹、
旭南海、富士東、東龍、北はり磨、小結北勝
富士でがいる。これで東西南北のいずれか1字
がつく四股名すべて登場した。

<北勝海のブロマイド>

北勝力・北勝富士は北勝海の弟子で八角部屋
の力士にみられる傾向である。北海道出身
ではない。また玉ノ井(元栃東 子)は弟子
の四股名に「東」をつける傾向があり、富士
東・東龍がそれにあたる。

<北勝富士>

襲名した四股名を別にすれば、北が16あり、
東が9と続いている。西と南は2つであった。

四股名の調査は時間がかかります。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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