三月場所、無観客で開催されたあと、五月
場所中止。七月場所は開催時期を2週間ずら
しての東京開催となった。変則的なこの間
随分多くの力士の引退があった。
・3月
蒼国来が引退した。これは師匠である荒汐
(元大豊)の定年によるものである。蒼国来
が荒汐部屋を引き継ぐための引退であった。
蒼国来は荒汐部屋創立8年目、初の関取で
あった。蒼国来を語る上で欠かせないのが、
八百長嫌疑による土俵の空白期である。八百
長と認定された力士のなかに蒼国来がいた。
しかし、蒼国来は八百長を認めず、裁判で
争うことになった。その間部屋にはいられ
なくなり、相撲の稽古はできなかった。八百
長は認められないとの判決が出た。この間、
蒼国来が土俵を離れてから12場所になって
いた。蒼国来の土俵歴の空白期である。引退
時は36歳であった。
・4月
豊ノ島がついに引退した。ついにといった
のは、ケガで幕下生活を余儀なくされたから
だ。それも2年間にも及んだから、その苦闘
は長きに渡った。この間無給であったから、
家族を支える立場としてはつらいものがあっ
た。十両に復帰してからは十両4場所、幕内
3場所を務め、再び幕下に降格した。三月
場所のことである。ここで負け越して引退を
決意した。36歳であった。
・6月
徳真鵬が関取の座を離れてから4年半経過
した。十両には27場所いて、最高位は十両
6枚目であった。それだけになじみが薄い
相撲ファンがいると思うのでプロフィールを
あげておく。
徳真鵬元久
三重県松坂氏出身
木瀬部屋
本名 白塚元久
学生出身 朝日大学
初土俵 2007年三月場所
十両昇進 2009年九月場所
優勝 幕下1回
最終場所 2020年三月場所
36歳で引退し、今後は朝日大学の職員として
勤務する。相撲部のほうもサポートしていく
という。新たな人生に幸あれと願わずには
いられない。
・7月
青狼は父と朝青龍が知り合いの線から朝青龍
の橋渡しで相撲界入りした。幕内が3場所
しかなく、最高位は前頭14枚目である。右四
つあるいは左前褌を取っての相撲を得意と
した。錣山(元寺尾)部屋からは豊真将に
ついで2人目の幕内力士であった。モンゴル
出身力士としては23人目であった。十両は
31場所務めた。十両優勝はなかった。2018年
十一月場所からは幕下が多くなった。三月
場所は全休し、7月に引退した。
栃煌山は関脇以下最強の時期があった。それ
ほどの実力者だっただけに、引退はショック
であった。栃煌山には忘れられないエピソー
ドがある。
2006年五月場所、栃煌山が影山といっていた
ときである。影山は幕下西3枚目で5勝2敗
をあげた。ほかに十両昇進候補は幕下東筆頭
上林5勝2敗、幕下西筆頭龍皇4勝3敗、
幕下15枚目付出下田7勝がいた。十両から
幕下に降格する力士は2人だった。幕下東
筆頭5勝2敗上林は文句なしであった。あと
一人を誰にするかが悩みどころであった。
結局西筆頭龍皇が上がり、幕下東筆頭に影山、
西筆頭に下田が位置することになった。
もう1つが、大関豪栄道の2度目のカド番の
ときである。豪栄道は大関に昇進したものの
苦戦が続いていた。8勝-5勝-8勝-8勝
-8勝-9勝-7勝であった。2015年十一月
場所、2度目のカド番をむかえた。この場所
豪栄道は7勝7敗で千秋楽を迎えた。千秋楽
の対戦相手は関脇栃煌山であった。成績は
8勝6敗だった。相撲は栃煌山がもろざしで
出て、勝負あったかと思った。次の瞬間豪栄
道の首投げが栃煌山の勢いを利用したカタチ
で決まり、大関の地位を紙一重で守った。
栃煌山が勝ったと思った瞬間の逆転負けで
あった。
ほかにモンゴルの豪頂山、貴乃花最後の弟子
貴正樹などが引退した。
カギがまわらなくなり、鍵屋を呼びました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。