鏡里は初優勝後に横綱に昇進した。横綱は
チャンピオンではないチャンピオン同様の
成績を何度もあげて初めてなれるものだ。
という横綱格下げ論が起きたときの世論で
ある。鏡里の横綱について横綱審議委員は
時期尚早だったが、協会は決定してしまった。
鏡里の横綱勝率は6割9分3厘である。そん
な鏡里の対大関戦をみていこう。
16勝(1不戦勝含む)20敗と負け越している。
最多大関対戦は若ノ花で2勝(1不戦勝含む)
6敗である。「明日は若ノ花(大関)戦です
が。いかがですか」という記者の質問に「こ
っちは横綱だよ」と答えた鏡里であったが、
大関若ノ花のほうが強かったことが証明され
た。
次に対戦が多かった大関は7番で、栃錦に
3勝4敗、松登に3勝4敗、三根山に5勝
2敗であった。クンロク大関松登にも負け
越していた。ほかに大関吉葉山に1勝2敗、
大関朝汐に2勝1敗であった。大関との対戦
成績が横綱鏡里を端的に評価している。
吉葉山も初優勝だけで横綱に昇進した。もっ
とも14勝1敗をあげながら、横綱・大関との
対戦がなかった時津山の15勝に泣いたことが
あった。吉葉山は横綱になったとたん2場所
連続休場している。吉葉山の横綱休場率は
32,1%にもなる。横綱優勝はない。
吉葉山の対大関戦は9勝13敗(1不戦敗含む)
と負け越している。最多大関対戦は松登で
4勝3敗である。次が若ノ花で1勝5敗で
ある。ただし、この1勝は疑惑の1勝である。
昭和31年初場所11日目、横綱吉葉山5勝5敗、
大関若ノ花9勝1敗で対戦した。若ノ花左肩
であたる。吉葉山左ざしを狙うも、若ノ花
右おっつけで対抗。四つの争いから吉葉山
右上手を取って上手ひねり。若ノ花残し、
右から攻めてもろざし。吉葉山両上手から
引きつけて出て、上手投げも若ノ花くずれず、
そのまま左後方へまわりながら左下手ひねり。
吉葉山右ひざがくずれながらも体を預けかか
る。若ノ花後ろへ傾くも、吉葉山の右ふくら
はぎ、右ひじの順で落ちた。それから若ノ花
の体勢がくずれた。誰の目にも若ノ花勝っ
たと思った。だが軍配は吉葉山にあがり、
物言いもつかなかった。「100%わしが勝っ
ていた」と若ノ花は不機嫌だった。
吉葉山の大関若ノ花戦、本当は0勝6敗と
言える。ほかは大内山に3勝2敗、朝汐に
1勝2敗、栃錦に1敗であった。
時代を築いた栃若の大関戦はいかなるものか。
次回ふれていく。
(この項目続く)
プロ野球の某球団を全試合観戦していた方の存在に驚き。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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