大相撲

小兵列伝4 栃ノ海

大鵬・柏戸の大型力士に割ってはいったのが
春日野(元栃錦)部屋の小兵栃ノ海である。
前名は本名の花田で取っており、青森出身で
ある。それだけに初代若乃花との親戚関係は、
と思われたが、それはなかった。両親がりん
ご園を経営していたことも共通していた。

177センチ、110キロ(入幕時は88キロ、大関
昇進時102キロ)。小兵だが、栃ノ海の相撲
は正攻法であった。頭からあたって、両前褌
を取り、しぼって拝む形で出る寄り、切れ味
鋭い出し投げは技のお手本であった。

幕下時代、納谷(大鵬)は花田(栃ノ海)
に苦戦していた時期があった。5連敗した。
納谷は、背は高かったが、まだ細かった。
ただ、「大鵬に四股名をあらためてますます
強くなっていってからは、もう全然ダメです
よ。出世の速度が違い過ぎて、あまり顔が
合わなくなってしまったんです」と当時を
振り返っていた。

相撲は栃錦よりうまいと言われた。技能賞は
6回受賞している。入門時の師匠元栃木山の
春日野は栃ノ海を高くかっていた。手順通り
に運ぶと、大鵬も柏戸も苦戦した。最高潮は
大関時代の昭和38年十一月場所だった。低く
はいって左ざし右おっつけでもろざしに入る
と、腰をいれて切り返しでゆさぶりながら
寄る。大鵬、柏戸を撃破し、14勝1敗で2回
目の優勝を達成した。

なお、大鵬との対戦成績は以下である。
関脇・小結時代 1勝5敗
大関時代 2勝7敗
横綱時代 3勝5敗
柏戸との対戦成績は以下である。
関脇・小結時代 1勝4敗
大関時代 4勝2敗
横綱時代 1勝3敗

横綱昇進2場所目が3回目で最後の優勝の
優勝になってしまった。椎間板ヘルニアの
再発と右上腕膜筋肉断裂で満足いく土俵が
務められなくなり、28歳で引退した。横綱に
なったときは「私はあまり大きくない。だか
らせめて、30歳までは現役を務めたい。この
体だから、長く横綱を務めようとかじゃなく
て、思いっきり5年間やってみようという
思いでした」30歳には届かず、栃ノ海は土俵
を去った。

横綱についてはこう語っている。「それは
それは重いものです。本当に息苦しくなり
ますよ。毎日、朝から晩まで、空気を吸う
ことすら苦しくなってくるような感じです」
と。現在82歳。元横綱では最古参になった。
次が北の富士の78歳である。栃ノ心の大関
昇進の日、お見かけしたが、小さいとき大鵬、
柏戸よりファンだった思いが懐かしく蘇った。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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