大鵬・柏戸の大型力士に割ってはいったのが
春日野(元栃錦)部屋の小兵栃ノ海である。
前名は本名の花田で取っており、青森出身で
ある。それだけに初代若乃花との親戚関係は、
と思われたが、それはなかった。両親がりん
ご園を経営していたことも共通していた。
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177センチ、110キロ(入幕時は88キロ、大関
昇進時102キロ)。小兵だが、栃ノ海の相撲
は正攻法であった。頭からあたって、両前褌
を取り、しぼって拝む形で出る寄り、切れ味
鋭い出し投げは技のお手本であった。
幕下時代、納谷(大鵬)は花田(栃ノ海)
に苦戦していた時期があった。5連敗した。
納谷は、背は高かったが、まだ細かった。
ただ、「大鵬に四股名をあらためてますます
強くなっていってからは、もう全然ダメです
よ。出世の速度が違い過ぎて、あまり顔が
合わなくなってしまったんです」と当時を
振り返っていた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/05/栃ノ海.jpg)
相撲は栃錦よりうまいと言われた。技能賞は
6回受賞している。入門時の師匠元栃木山の
春日野は栃ノ海を高くかっていた。手順通り
に運ぶと、大鵬も柏戸も苦戦した。最高潮は
大関時代の昭和38年十一月場所だった。低く
はいって左ざし右おっつけでもろざしに入る
と、腰をいれて切り返しでゆさぶりながら
寄る。大鵬、柏戸を撃破し、14勝1敗で2回
目の優勝を達成した。
なお、大鵬との対戦成績は以下である。
関脇・小結時代 1勝5敗
大関時代 2勝7敗
横綱時代 3勝5敗
柏戸との対戦成績は以下である。
関脇・小結時代 1勝4敗
大関時代 4勝2敗
横綱時代 1勝3敗
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/05/栃-e1590112818986.jpg)
横綱昇進2場所目が3回目で最後の優勝の
優勝になってしまった。椎間板ヘルニアの
再発と右上腕膜筋肉断裂で満足いく土俵が
務められなくなり、28歳で引退した。横綱に
なったときは「私はあまり大きくない。だか
らせめて、30歳までは現役を務めたい。この
体だから、長く横綱を務めようとかじゃなく
て、思いっきり5年間やってみようという
思いでした」30歳には届かず、栃ノ海は土俵
を去った。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/05/栃ノ海A-e1590112877306.jpg)
横綱についてはこう語っている。「それは
それは重いものです。本当に息苦しくなり
ますよ。毎日、朝から晩まで、空気を吸う
ことすら苦しくなってくるような感じです」
と。現在82歳。元横綱では最古参になった。
次が北の富士の78歳である。栃ノ心の大関
昇進の日、お見かけしたが、小さいとき大鵬、
柏戸よりファンだった思いが懐かしく蘇った。
緊急事態宣言、2府1県が解除されました。
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