大相撲

新大関3場所の通信簿2

<三段目付出し時代の石橋(朝乃山)>

ここからが15日制定着以降なので、比較しや
すくなる。特に大関昇進前3場所と昇進後
どう変わったかが明確になる。特に最高位
大関の場合、「大関の法則」によって下降
する方向は否めない。取組が系統別総あたり
制の昭和22年秋場所から昭和39年十一月場所
までに誕生した大関3場所の成績をまずみて
いこう。

ここでは、琴ヶ濱と栃光が3場所連続2ケタ
勝利をあげ、32勝13敗と朝乃山の大関昇進時
の成績をあげている。若羽黒は新大関の場所
優勝しながら、翌場所、負け越している。
三根山も3場所目に優勝しているが、大関
8場所で大関の座を明け渡している。松登は
クンロク大関の代表的な大関で早くもその
傾向が出てきている。

<栃光のブロマイド>

北葉山は大関昇進時、28勝17敗ともの足り
ない成績だったが、昇進後はさらに下げた。
大器豊山はいきなり負け越した。大関昇進
直前は大鵬と優勝を争うほどだった。新大関
の場所は優勝戦線トップの大鵬と7勝7敗で
千秋楽にあたり、玉砕している。豊山の相撲
は大鵬からみるとスキだらけであった。ここ
では大関昇進時より成績がいい力士はいなか
った。

<豊山>

新大関3場所の最高位横綱の場合、さすがに
最高位大関よりひとまわりもふたまわりも上
だった。千代の山は大関時代千代ノ山である
が、便宜上「千代の山」でいくことにする。
新大関の場所からいきなり、連続優勝したが、
横綱審議委員会による昇進規定はまだなかっ
た。12勝優勝があることもひっかかっていた。

28勝17敗で大関に昇進した鏡里は、昇進後、
大関にふさわしい成績をあげていった。それ
は若乃花も同様であった。若乃花は大関昇進
時若ノ花であるが、ここでは若乃花で通す
ことにする。昇進直前28勝15敗2分が昇進後
見違える成績に変わった。大関3場所目には
初優勝している。若乃花の地位に対する責任
感の表れである。

<若ノ花のブロマイド>

ここでの最高成績は、栃錦の38勝7敗である。
数字だけ見ると横綱昇進があってもおかしく
ない。だが、このあと栃錦は3場所連続1
ケタ勝利に終わっている。栃ノ海一人だけが
ここでは30勝を割っている。

大鵬は大関3場所で1回も優勝がないのは
意外である。大鵬が花開くのはこの後であっ
た。大鵬を先行していた柏戸だったが、初
優勝は大鵬に先を越されていた。大鵬が優勝
した翌場所=大関3場所目で初優勝を達成
した。この時期大鵬は柏戸を苦手としており、
2人の優勝回数が開いていくことは、知る
よしもなかった。

<大鵬のブロマイド>

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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