MENU

名古屋本場所あれこれ

今年の七月場所は東京開催に決定した。近隣
地方の方、熱心な遠征相撲ファンにとっては
誠に残念な決定となってしまった。昭和33年
から正式に始まった名古屋本場所は、歴史的
に一番新しい本場所と紹介したメディアが
あった。それは間違いないが、九州福岡本場
所とは8ヶ月しか差がないことも事実である。
名古屋本場所は、2019年まで62回開催されて
きたことになる。

<20019年七月場所で優勝した鶴竜 旗手豊ノ島>

実は、正式な本場所開催の昭和33年以前に、
名古屋本場所開催は4度ある。最初は大正
13年の春場所である。これは大正12年9月
1日におきた関東大震災が原因である。両国
国技館は屋根・柱などの外観を残して焼失し、
東京は焦土であった。ここに至って協会は
名古屋開催を決心した。また、東西合併が
なった昭和2年から年4場所となった。その
うち、2場所は地方で開催した。昭和3年
3月場所、昭和4年9月場所、昭和7年9月
場所は名古屋でおこなわれている。年4場所
は昭和7年まで続いた。

<旧両国国技館の絵葉書>

人によっては、年6場所は多く、暑い七月は
避けたほうがいい、という意見がある。確か
に2年前の名古屋は朝7時から大変な暑さで
あり、愛知県体育館の場所によっては冷房が
効かない席があった。筆者は朝の相撲部屋の
稽古を見に行ったが、往復25分歩いただけで、
暑さ負けしたほどであった。

<館内>

また、年6場所はサイクルが早く、多いと
思う。だが、財政上の問題が残る。力士、
年寄、行司、呼出、床山、事務員などの月給
を6分の5にしてもいいのだろうか。部屋の
維持費、力士養成費も同様である。さらに、
幕下以下皆勤の力士に出る場所手当ては1場
所分なくなることになる。人間の心理として
減ることには誰しも抵抗がある。

<愛知県体育館>

今年(2020年)から椅子席名が変わる予定で
あった。今までは椅子席Aは東西にあり、
椅子席Bは正面と向こう正面にあった。正面
と向こう正面の椅子席のなかで最も後ろの席
が自由席であった。これが今年から、椅子席
は方向に関係なく、すべてS(前2列)、
A(3列・4列)、B(5列目)の3種類に
分けられることになっていた。そして東西
最後の列が自由席に変わった。これは来年
持ち越しとなった。

新型コロナウイルスの影響で名古屋本場所は
ついに幻になってしまった。

東大王を見ています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
イラストとマークの2カ所をクリックして支援してください。

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次