大相撲

幻の5横綱

2019年8月20日

4横綱はそれなりにある。最近では稀勢の里
が横綱に昇進して、白鵬、日馬富士、鶴竜、
稀勢の里の4横綱時代があった。日馬富士の
引退で4横綱時代は終焉を迎えた。さらに
稀勢の里の引退で現在は2横綱である。

ところが、歴史のなかにはあわや5横綱が
出現しそうになったことがある。昭和29年
秋場所、大関栃錦が優勝した。先場所も優勝
しており、連続優勝であった。通算4回目の
優勝でもあり、横綱昇進は決定的であった。
栃錦 昭和30年代
<栃錦のブロマイド>

ところが先輩横綱に東富士、千代の山、鏡里、
吉葉山がいた。このままでは相撲史上初の
5横綱となる。ところがここで東富士が「5
横綱はいけない」とあっさり引退してしまっ
たのだ。東富富は、江戸っ子横綱であった。
あっさり引退してしまったのは、淡白な性格
と執着心のなさからくるモノであった。

加えて東富士の複雑な部屋関係にあった。
東富士は富士ヶ根部屋出身であった。富士
ヶ根部屋は高砂部屋の若港義正が昭和5年に
創立した部屋である。後に若港三郎が継いで、
東富士を大関にまで育てた。ところが昭和
22年に部屋を閉じ、東富士を高砂部屋に預け
た。
東富士・ブロマイド
<東富士のブロマイド>

小部屋の富士ヶ根部屋にいたときは稽古相手
に恵まれなかった。一時期出羽海部屋に身を
寄せていた。出羽海への移籍話が浮上して
くるほどだった。だが、大関は看板であり、
東富士はやむなく高砂に戻ることになった。
そんな経緯だから前田山とうまくいかない。
出羽海の力士からは裏切り者の目でみられた。

こうした複合的な要素が加わり、東富士は
あっさり横綱を引退した。こうして5横綱は
回避され、幻に終わったのであった。

ブルーレイを修理にだしました。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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