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幻の5横綱

4横綱はそれなりにある。最近では稀勢の里
が横綱に昇進して、白鵬、日馬富士、鶴竜、
稀勢の里の4横綱時代があった。日馬富士の
引退で4横綱時代は終焉を迎えた。さらに
稀勢の里の引退で現在は2横綱である。
ところが、歴史のなかにはあわや5横綱が
出現しそうになったことがある。昭和29年
秋場所、大関栃錦が優勝した。先場所も優勝
しており、連続優勝であった。通算4回目の
優勝でもあり、横綱昇進は決定的であった。
栃錦 昭和30年代
<栃錦のブロマイド>

ところが先輩横綱に東富士、千代の山、鏡里、
吉葉山がいた。このままでは相撲史上初の
5横綱となる。ところがここで東富士が「5
横綱はいけない」とあっさり引退してしまっ
たのだ。東富富は、江戸っ子横綱であった。
あっさり引退してしまったのは、淡白な性格
と執着心のなさからくるモノであった。
加えて東富士の複雑な部屋関係にあった。
東富士は富士ヶ根部屋出身であった。富士
ヶ根部屋は高砂部屋の若港義正が昭和5年に
創立した部屋である。後に若港三郎が継いで、
東富士を大関にまで育てた。ところが昭和
22年に部屋を閉じ、東富士を高砂部屋に預け
た。
東富士・ブロマイド
<東富士のブロマイド>

小部屋の富士ヶ根部屋にいたときは稽古相手
に恵まれなかった。一時期出羽海部屋に身を
寄せていた。出羽海への移籍話が浮上して
くるほどだった。だが、大関は看板であり、
東富士はやむなく高砂に戻ることになった。
そんな経緯だから前田山とうまくいかない。
出羽海の力士からは裏切り者の目でみられた。
こうした複合的な要素が加わり、東富士は
あっさり横綱を引退した。こうして5横綱は
回避され、幻に終わったのであった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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