大相撲

【7月18日】大関の負け越し率1

2019年7月16日

貴景勝はカド番の場所を全休して関脇降格が
決定した。貴景勝は大関2場所在位で2場所
とも負け越したことになる。大関負け越し率
は100%になる。最初大関のカド番率を考え
ていた。大関2場所連続負け越しで降格は
東西合併以降である。つまり昭和2年からで
ある。3場所連続負け越し降格は、年6場所
制がスタートした昭和33年からである。2場
所連続に戻したのは昭和44年七月場所からで
ある。そのさい降格直後の関脇で10勝以上で
大関に復帰できる規定がつくられた。

これだけでもカド番の扱いが違う上、公傷
制度が導入されていた時期がある。大関の
適用第一号は朝潮である。最も適用を受けた
のが千代大海の4回である。公傷制度でカド
番がカド番でなくなってしまった。

また昭和2年から7年までは東西合併を受け
て、東京場所と地方場所を交互におこなう
年4場所制であった。昭和2年から3年3月
場所までは東京場所は東京場所だけで、地方
場所は地方場所だけで番付編成をおこなって
いた。しかし、これでは東京場所と地方場所
で番付の地位の差がありすぎるケースが出て
きた。そこで昭和3年夏場所から東京場所と
地方場所の合計した成績で番付編成をおこな
うようになった。そのため大関が1場所負け
越しただけではカド番にならないケースが
出てきた。

これではカド番が一定しない。そこで大関の
負け越し率にすることにした。公傷の場所、
及び場所中の引退は負け越し場所として扱っ
た。対象は昭和以降誕生した最高位が大関=
能代潟以降とした。また、現役である高安は
2019年五月場所まで、休場で負け越しが確定
した豪栄道、栃ノ心、貴景勝は同年七月場所
までとした。その結果が以下である。
大関1A
大関2A
昭和最初の最高位大関の大関能代潟、2人目
の大関常陸岩はともに負け越し率50%となっ
た。つまり2場所に1回は負け越している
のだ。3人目豊國が負け越し率23.1%を記録
し、これが長い間最高記録であった。
小野川』 大分
<小野川時代の豊國のブロマイド>

ワーストでは五ッ嶋が在位わずか2場所で
2場所とも負け越して降格した。負け越し
率100%でこれ以上のワーストはありえなく
なった。現時点では貴景勝がワーストタイで
ある。

豊國の記録を更新した力士が北葉山である。
大関負け越率20%である。北葉山は大関在位
30場所で最長であった。負け越しは6回だが、
1回は全休で、残り5回は晩年8場所による
ものであった。
北葉山
<北葉山>

北葉山の記録を抜いたのが、清國の17.9%で
ある。である。昭和45年三月場所の千秋楽。
新横綱北の富士2敗、同じく新横綱玉の海
1敗、横綱大鵬1敗。清國は7勝7敗で大鵬
と対戦した。この一番大鵬が勝ち、北の富士
対玉の海戦は、北の富士が勝ったため、大鵬
の31回目の優勝が決まった。清國は大関最初
の負け越しとなった。清國のあと4回の負け
越しは晩年の7場所間に集中している。
清国
<清國のブロマイド>

(続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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