大相撲

大関初休場負け越しの翌場所

2019年6月16日

今日(6月16日)貴景勝の大関披露宴が盛大
におこなわれた。五月場所ケガのため休場-
再出場-再休場した貴景勝の思いはいかばか
りであったろうか。七月場所は大関2場所目
でいきなりカド番をむかえることになる。

これまで先人の大関は初休場負け越しの翌
場所はどのような成績を残したのだろうか。
フル出場の大関初負け越しではなく、また、
休場しても勝ち越した場合ではなく、あく
まで大関初休場負け越しの場合の翌場所の
成績である。そのほうが、貴景勝の七月場所
を見通せると思う。
190515四日目幕内 816
<五月場所 御嶽海戦で負傷した貴景勝>

対象は15日制で最高位が大関の三根山以降と
した。最初の表は昭和の大関、2番目は平成
の大関である。なお、参考に3番目の表は
最高位横綱の大関時代で、対象は15日制の
千代の山以降とした。
初休場負けこし大関1A
初休場負けこし大関2A
初休場負けこし大関3A
三根山から栃ノ心まで休場がなかった大関は、
魁傑だけである。「休場は試合放棄」と名言
を残したが、有言実行だったわけである。

公傷、大関陥落を除くと、成績は以下となっ
た。
10勝以上 7力士
8勝、9勝15力士
負け越し 6力士

最高成績は霧島と魁皇の13勝2敗で、魁皇は
優勝している。多数を占めるのは、8勝、
9勝である。とにかく勝ち越して乗り切る
傾向にある。

早い場所で1ケタ勝利や休場負け越しに陥る
と、その後の運命を決めてしまう傾向がある。
前の山、貴ノ花は大関になったとき、横綱の
期待があったが、早々と挫折してしまった。
豊山も横綱の期待があったが、1場所目で
7勝8敗と負け越している。貴景勝にとって
は、いやなデータである。
190519八日目幕内 499
<五月場所 再出場した貴景勝だが、碧山に敗れる>

なお、大関で最初に公傷制度が適用されたの
が朝潮であり、もっとも適用されたのが、
千代大海である。カド番がカド番でなくなる
制度である。現在この制度はない。

横綱の大関時代はどうだろうか。比較的大関
時代が長い力士が登場している。例外は曙、
白鵬である。ここでも初休場負け越しの翌
場所は抜群の成績力士は見えない。

貴景勝は七月場所でとりあえず、無難に勝ち
越しを狙うか、それ以上を目指すのか。ケガ
の状態にもよるが、試練の場所になりそうな
予感がする。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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