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復帰後の大関

五月場所、栃ノ心が10勝をあげ、大関に復帰
することになった。復帰は6例目である。
これまで25%だった大関復帰確率が栃ノ心に
よって29%に変わった。この規定は3場所
連続負け越しで大関を降格にするのを2場所
に改めた昭和44年七月場所から施行された。
問題は復帰した大関のその後である。最初の
成績と復帰後の成績を比較してみよう。
180928赤ちゃん抱っこ 146
<栃ノ心>

復帰第1号は三重ノ海である。三重ノ海は
関脇で優勝して大関に昇進したが、わずか
3場所で大関の地位を明け渡している。成績
は12勝21敗12休とさんざんな数字である。
復帰後18場所は168勝102敗、勝率6割2分で
ある。1場所9.3勝になる。詳しくみていこう。
三重ノ海は大関復帰後、8場所連続1ケタ
勝利が続いた。そのうちの2場所はフル出場
して負け越している。9場所目に10勝をあげ
ると、その年は4場所2ケタ勝利し、年間
58勝をあげた。そのころから三重ノ海に強さ
の兆しが見え始めてきた。復帰2年半後、
強さを発揮し、13勝、14勝をあげ、横綱に
昇進した。このとき31歳。大関陥落後横綱に
昇進したのは三重ノ海だけである。
三重ノ海
<三重ノ海>

二人目の復帰は貴ノ浪である。貴ノ浪は大関
を35場所務めて降格した。成績は340勝177敗
8休である。休場は少なかった。優勝は2回。
勝率は6割5分8厘。1場所9.9勝である。
なかなかの成績である。しかし貴ノ浪は大関
に復帰したとたん、2場所連続負け越しで
再び関脇に落ち、2度と復帰することはなか
った。貴ノ浪28歳のときである。
武双山はいきなり全休-4勝11敗によって
わずか2場所で大関から降格した。復帰後は
大関を25場所務めたが、182勝137敗45休み、
勝率5割7分1厘、1場所8.6勝と存在感を
示せなかった。晩年は負け越しが目立った。
32歳で場所中に引退した。
栃東は大関を2度落ち、2度復帰した珍しい
力士である。その成績は次のようになった。
・最初の大関時代15場所91勝58敗76休 
勝率6割1分1厘優勝2回
・復帰1回目 2場所5勝5敗20休勝率5割
・復帰2回目 13場所111勝62敗22休 
勝率6割4分2厘優勝1回
06春 181
<栃東>

栃東の最初の大関時代は公傷制度もあって
休場が多すぎる。勝率は1場所9.2勝に相当
する。復帰1回目は問題にもならない最悪
の成績である。復帰2回目が最も勝率が
いい。1場所9.6勝である。優勝も1回ある。
こう見てくると、復帰後成績が一部よかった
力士は三重ノ海、少しよかったのが、2回目
復帰の栃東くらいである。栃ノ心は復帰後
どういう成績を残すのか。2場所連続負け
越しで大関陥落の規定に甘えるようでは1ケ
タ勝利に終始する。2回目の優勝を目指す
のであれば、期待がもてる。ある熱心な栃ノ
心ファンは後者の栃ノ心を応援している。

上野にいったときはジャンボ餃子を
食べます。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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