大相撲

復帰後の大関

2019年6月15日

五月場所、栃ノ心が10勝をあげ、大関に復帰
することになった。復帰は6例目である。
これまで25%だった大関復帰確率が栃ノ心に
よって29%に変わった。この規定は3場所
連続負け越しで大関を降格にするのを2場所
に改めた昭和44年七月場所から施行された。
問題は復帰した大関のその後である。最初の
成績と復帰後の成績を比較してみよう。
180928赤ちゃん抱っこ 146
<栃ノ心>

復帰第1号は三重ノ海である。三重ノ海は
関脇で優勝して大関に昇進したが、わずか
3場所で大関の地位を明け渡している。成績
は12勝21敗12休とさんざんな数字である。
復帰後18場所は168勝102敗、勝率6割2分で
ある。1場所9.3勝になる。詳しくみていこう。

三重ノ海は大関復帰後、8場所連続1ケタ
勝利が続いた。そのうちの2場所はフル出場
して負け越している。9場所目に10勝をあげ
ると、その年は4場所2ケタ勝利し、年間
58勝をあげた。そのころから三重ノ海に強さ
の兆しが見え始めてきた。復帰2年半後、
強さを発揮し、13勝、14勝をあげ、横綱に
昇進した。このとき31歳。大関陥落後横綱に
昇進したのは三重ノ海だけである。
三重ノ海
<三重ノ海>

二人目の復帰は貴ノ浪である。貴ノ浪は大関
を35場所務めて降格した。成績は340勝177敗
8休である。休場は少なかった。優勝は2回。
勝率は6割5分8厘。1場所9.9勝である。
なかなかの成績である。しかし貴ノ浪は大関
に復帰したとたん、2場所連続負け越しで
再び関脇に落ち、2度と復帰することはなか
った。貴ノ浪28歳のときである。

武双山はいきなり全休-4勝11敗によって
わずか2場所で大関から降格した。復帰後は
大関を25場所務めたが、182勝137敗45休み、
勝率5割7分1厘、1場所8.6勝と存在感を
示せなかった。晩年は負け越しが目立った。
32歳で場所中に引退した。

栃東は大関を2度落ち、2度復帰した珍しい
力士である。その成績は次のようになった。
・最初の大関時代15場所91勝58敗76休 
勝率6割1分1厘優勝2回
・復帰1回目 2場所5勝5敗20休勝率5割
・復帰2回目 13場所111勝62敗22休 
勝率6割4分2厘優勝1回
06春 181
<栃東>

栃東の最初の大関時代は公傷制度もあって
休場が多すぎる。勝率は1場所9.2勝に相当
する。復帰1回目は問題にもならない最悪
の成績である。復帰2回目が最も勝率が
いい。1場所9.6勝である。優勝も1回ある。

こう見てくると、復帰後成績が一部よかった
力士は三重ノ海、少しよかったのが、2回目
復帰の栃東くらいである。栃ノ心は復帰後
どういう成績を残すのか。2場所連続負け
越しで大関陥落の規定に甘えるようでは1ケ
タ勝利に終始する。2回目の優勝を目指す
のであれば、期待がもてる。ある熱心な栃ノ
心ファンは後者の栃ノ心を応援している。

上野にいったときはジャンボ餃子を
食べます。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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