大相撲

貴景勝の相撲内容を検証する1

2019年1月31日

一月場所、貴景勝11勝と次点の成績をあげ
ながら、千秋楽の豪栄道戦のみを北の富士・
舞の海両氏に酷評された。その影響があった
かどうかは定かでないが、審判部長の阿武松
(元益荒雄)は貴景勝の大関昇進を審議なし
でもう1場所見るとの見解を即、打ち出した
先場所の優勝はそんない軽いものなのか。
貴景勝の一月場所のほかの14番はどういう
相撲内容でどう評価すべきか。あらためて
一番一番を検証し、採点してみた。それを
しなくては正しい貴景勝の評価はできない
からである。

採点の基準は、自分の力をどれくらい土俵で
発揮したかである。必ずしも勝ち負けでは
ない。勝ち方と同時に負け方なのである。
点数は1点から最高5点までとし、小数点
0.5まで区切って採点した。

初日正代
貴景勝、当たって突き起こしにでた。正代
一度は踏み留まったが、貴景勝すぐ突き立て
前に圧力をかけ、西土俵突き出した。完勝で
あった。
<5点>
190113初日幕内 1106正代

2日目松鳳山
貴景勝、当たって突き放し。松鳳山に何も
させずにそのまま西土俵に押し出した。完璧
な相撲内容であった。
<5点>
190114二日目幕内 792松鳳山

3日目関脇玉鷲
この時点では優勝に関係する一番ととらえ
られていない関脇同士の一番である。両力士
当たって突き合い。貴景勝攻勢も引きで一瞬
見合う。貴景勝頭でいくが、玉鷲に引きが
でて、つけいって貴景勝が白房下に突き出し
た。
<4.5点>
190115三日目幕内 2294玉鷲

4日目小結御嶽海
両力士当たりあって、貴景勝左に動いて突き
落としにいかんとした。だが、御嶽海ふとこ
ろにはいって押しあげ、最後向こう正面に
寄り切った。
<2点>
190116四日目幕内 747御嶽海

5日目小結妙義龍
貴景勝立ち合いから突き上げ、押し上げ一気
に勝負を決めた。
<5点>
190117五日目幕内 813妙義

6日目栃煌山
栃煌山当たってくる貴景勝を左からいなし、
右四つに組みとめた。貴景勝必死に抵抗する
もどうにもならず、最後は後ろ向きにされ
送り出された。貴景勝、組みとめられては
なすすべがなかった。
<2点>
190118六日目幕内 64栃煌山

7日目逸ノ城
目標が大きいだけに貴景勝は思い切って当た
り、おこしてそのまま出ていき勝負を決めた。
<5点>
190119七日目幕内 777逸ノ城

8日目阿武咲
天覧相撲の目玉として組まれた若手同士の
突き押し相撲の激突となった。激しい当たり
から突き合い。貴景勝左へ動きいなし、阿武
咲を横から攻め、一気に出ていった。
<4.5点>

190120八日目幕内 974阿武

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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