付け人への暴行から千賀ノ浦(元隆三杉)
部屋謹慎となった貴ノ岩。その貴ノ岩が引退
届けを提出と報じられた。貴ノ岩は昼ごろ
国技館に赴いたものの、なかなか出てこず、
夕方になって協会が引退を受理したことが
報じられた。道半ば28歳で力士人生に終焉を
むかえることになった。

<H30年5月5日目 貴乃花と貴ノ岩>
「暴行→即引退」この結論になったら今後、
暴行事件が発生するたびに踏襲されかねない。
そもそも今回の問題を貴ノ岩個人の問題と
とらえていいのだろうか。相撲界はこれまで
に表ざたになった暴行事件がいくつかあった。
その中でも新弟子暴行死事件は最悪の事態を
招いた。それでもその後暴行は繰り返されて
いる。

<H30年7月 十両優勝>
問題はなぜ繰り返されるのか。立場が上の者
が下に暴行する体質がしみ込んでいるので
ある。力士一堂を集めて諭しても、根本的に
決別できないことはすでに証明された。自覚
がないというより、残念だが長年踏襲されて
きた体質なのである。親方連中とて例外では
なかったはずである。これでは入門に躊躇
する者が出てきても不思議ではない。
貴ノ岩の処分は昨日テレビのゲストによると
2場所出場停止という声が多かった。それは
それでいい。しかし、現実は力士生命を失う
結果となった。暴力決別宣言後というタイ
ミングの悪さはあるにしても。

<H30年11月12日目 貴ノ岩最後の勝利 相手千代翔馬>
昭和初期、清水川は放蕩で本場所をさぼり、
追放になった。しかし、父親が死をもって
復帰を協会に嘆願したのである。清水川は
父の名元吉を名乗り、十両から復帰した。
そして、ついに大関にまで昇進した。優勝を
3回達成した。全勝優勝した昭和9年夏場所
横綱玉錦との死闘は大一番として語られて
いる。昭和・平成で唯一の名大関と評価され
た。
貴ノ岩の暴行事件は最悪の結末を招いた。
力士人生に悔い改める道はなかったのだろう
か。
鯖を食べました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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