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体重からみた旧両国国技館の英雄

現在は160キロ以上の重量級全盛の時代で
ある。小兵というと116キロの石浦、115キロ
の照強があげられる。それではひと昔前は
どうだったのか。旧両国国技館時代をみて
いこう。旧両国国技館は明治42年夏場所より、
戦後まもない一時期まで使用された。途中
何度か火災にあって、ほかの会場を使用して
いる。その時代4人の英雄を生み出している。
相撲は体重がすべてではないが、大きな要素
であることは間違いない。旧両国国技館の
英雄を体重の視点からとらえてみた。
常陸山谷右衛門
<常陸山のブロマイド>

幕内の平均体重は明治中期が97キロから98
キロ。明治後期から大正が100キロ前後で
ある。明治の角聖常陸山は相手に十分取らせ
てから料理した。常陸山は呼び込むように
して泉川にためこむ型があった。常陸山の
ような相撲こそ横綱相撲ととらえられたが、
誰にでもできることではない。常陸山ができ
たのは周りが100キロ前後の力士に対して、
常陸山が地力とともに体重が145キロあった
ことが大きかった。
大刀山・
<太刀山のブロマイド>

太刀山といえば45日の鉄砲で知られる強豪で
ある。45日は1月半=ひと突き半のシャレ
からきている。出足鋭く、太刀山の猛突っ
張りが出ると、対戦相手はまわしにふれる
こともできずに吹っ飛ばされた。四つに組ん
でも呼び戻しで相手を裏返しにした。その
太刀山は140キロと100キロ前後のまわりより
ひときわ大きかった。これが太刀山の強さに
影響したことは十分考えられる。なお、太刀
山は43連勝して1敗した後56連勝したとされ
る。だが、56連勝中に3度全休がある。
栃木山
<栃木山のブロマイド>

栃木山の出足鋭いはず押しは、すり足がレー
ルの跡のようについたといわれる。栃木山は
理詰めの相撲と考える相撲をとことん突き
詰め、実践した力士であった。栃木山は歴代
横綱のなかでは105キロと小さい部類に入る。
しかし、現役時代は周りが100キロ前後だから
特に小兵というわけではなかった。自身でも
「わしが相撲を取っていたころは、相手が
小さかったからな」と語っている。余力を
残し、3連覇のあと引退している。その7年
後の日本選手権では現役の天竜、玉錦を退け
年寄春日野として優勝したのは、語り草に
なっている。
双葉山定次
<双葉山のブロマイド>

双葉山といえば2枚腰、後の先、69連勝、
年2場所制で最高の12回優勝、「信念の歯車
がくるった」の言葉など多くの特徴・功績
などに彩られている。相手が立てばいつでも
立つ立ち合いは驚異としかいいようがない。
昭和は戦前で幕内の平均体重は104キロ、戦時
中になって112キロに増加していた。双葉山は
横綱になって、120キロから130キロと体重を
増やしている。130キロとなるとかなり重い
クラスにはいる。双葉山は体重増加が強さの
要因の1つであった。
現代の大相撲は、体重に関して今後どういう
方向にいくのだろうか。今のままだとケガは
深刻となり、毎場所休場者が続出することは
避けられそうにない。

暑いときは大相撲のデータ集計が取りずらい
です。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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