大相撲

明生の出世街道

2018年6月29日

明生が序ノ口から42場所かかって新入幕を
果たした。一見順調な出世のように映るが、
けしてそんなことはない。中学卒業後立浪
(元旭豊)部屋に入門した。前相撲は平成23
年の就職場所といわれる三月場所の予定だっ
たが、中止となり翌場所の技量審査場所と
なった。同期に照ノ富士がいる。
明生A
明生は本名(川畑明生)の下の名を四股名に
した。北勝富士が十両まで下の名の大輝を
四股名にしていたが、幕内では珍しい。本名
の上の名は数ある。興味のある方は下記を
クリックしていただきたい。

明生は少年のころから相撲を取っていたが、
プロで通用するか不安だった。序二段、三段
目までは順調に上がった。三段目で1度序二
段に落ちているが、10場所かかって幕下に
上がった。ここで三段目に4度落ち、4度
幕下に戻るという行き来をしている。ヘルニ
アを患い、悩んだ時期であった。
160924十四日目十両幕下以下 45明生対朝弁慶
<4勝目をあげ、十両入りを決定した朝弁慶戦>

幕下に定着したのは平成26年七月場所からで
ある。序ノ口から新十両までは37場所かかっ
た。6年強である。成績は148勝111敗○37で
ある。勝ち越し23場所、負け越し9場所で
ある。しかし、十両は2場所しかもたなかっ
た。幕下に落ちたらすぐに戻らないと幕下に
居座るケースが多いなか、2場所で十両に
戻った。
161115三日目幕下 569
<H28年11月新十両>

再十両は7場所かかってついに入幕した。
ここまで優勝は1度もない。左四つ寄り。
体重148キロ。7月中に24歳になる。若さ
あふれる相撲でぜひ観客をわかしていただき
たい。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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