部屋別総当たりに入った昭和40年一月場所
以降をみていこう。昭和はこの後24年間
あるが、2ケタ勝利の新入幕力士は13人しか
いない。平成前期をあわせてみていく。
あるが、2ケタ勝利の新入幕力士は13人しか
いない。平成前期をあわせてみていく。
46年十一月場所で黒姫山、輪島、富士桜、
三重ノ海が甲乙つけがたく、4人の受賞と
なったことである。殊勲黒姫山、敢闘輪島・
富士桜、技能三重ノ海となった。これまで
1つの賞を2人が受賞することはなかった。
該当なしがあるのだから2人の受賞があって
もいいということでファンにも好評であった。
これによって新入幕2ケタ勝利力士は、敢闘
賞受賞が増えていった。
昭和40年代において2ケタ勝利で敢闘賞を
受賞できなかったのは2人しかいない。新入
幕力士が他の力士と敢闘賞をダブルで受賞
したケースは、平成8年以降顕著になり、
全体で23例に及んでいる。
受賞できなかったのは2人しかいない。新入
幕力士が他の力士と敢闘賞をダブルで受賞
したケースは、平成8年以降顕著になり、
全体で23例に及んでいる。
なお昭和43年一月場所、9勝であったが、
高見山が新入幕で敢闘賞を受賞している。
外国から相撲という特殊な社会に入り、辛抱
と努力でのり越えてきたことが評価された。
もう1つの変化は昭和46年七月場所から、
幕内中位、下位の力士でも優勝戦線にいれば
横綱・大関と対戦させるという規定が実施
されることになったことである。展開によっ
て新入幕力士の横綱・大関戦がありえること
になった。
<大錦の記事>
そして、それがまさに実現したのだ。昭和
48年九月場所、新入幕の大錦は横綱琴櫻、
大関貴ノ花と対戦した。それだけではない。
なんと勝ってしまったのである。まさかの
展開であった。千秋楽は大関清国に負けは
したものの、驚異の新入幕力士として、殊勲、
敢闘、技能と3つの賞を独占してしまった
のである。
(この項目続く)
昨夜は22時に寝ました。
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よしなに
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