大相撲

横審誕生以前の横綱の昇進2

2017年2月24日

横審以前の昇進2A
2代目西ノ海は大関在位13場所(7年)と
初優勝が認められ、大正5年春場所後横綱に
推挙された。相手の方屋には横綱太刀山・鳳
がいて、2代目西ノ海の方屋には横綱はいな
かったが、1場所で解消された。2代目西ノ
海はこのとき37歳。晩年期であった。横綱は
途中休場2場所、全休2場所、皆勤1場所で
終わった。
西の海、
<2代目西ノ海のブロマイド>
 
大錦は入幕3場所目に大関であった。大関
3場所で横綱になる記録的スピード出世と
なった。横綱直前の全勝優勝は横綱太刀山
との全勝同士の相星決戦であった。大正6年
春場所後横綱に27歳で推挙された。175セン
チ140キロの巨体、鋭い出足、緻密な頭脳、
豪胆なメンタルで非力をカバーした。三河島
事件で協会と力士との調整がまとまらない
責任をとって引退しなければ、どこまで記録
をのばしたか。惜しまれる横綱であった。
横綱 大錦
<大錦のブロマイド>
 
栃木山は大関在位2場所であった。その2場
所で連続優勝して一気に横綱に昇進した。
同じ出羽ノ海部屋の大錦の1年後であった
(年2場所制)。大関2連覇は5連覇の始ま
りであった。104キロで筋骨たくまししい
タイプであった。相撲は砂煙があがるほど
出足がすごく、筈押しの力強い内容であった。
横綱で3連覇しながら、あっさりと引退して
しまった。横綱は追い詰められからではなく、
花のあるうちにという栃木山の美学かもしれ
ない。
栃木山
<栃木山のブロマイド>
 
引退6年後の昭和6年、第1回大日本選手権
に年寄春日野として参加した。そこで現役の
玉錦、沖ツ海、鏡岩、能代潟、天竜を倒して
優勝してしまったのは、語り草になっている。

大正10年夏場所まで、源氏山は関脇で出羽ノ
海と同じ方屋にいた。横綱大錦、栃木山、
大関常ノ花がいて、相手の方屋は大関千葉ヶ
崎しかいなかった。しかも千葉ヶ崎は先場所
に引き続き、この場所も負け越していた。
そのため源氏山が大関に昇進したとき、出羽
ノ海と反対の方屋に移された。急遽大錦、
栃木山、常ノ花と対戦する立場になった。
もっとも大錦は休場と急遽引退のため対戦は
なかった。
西の海
<3代目西ノ海のブロマイド>
 
源氏山が大関3場所を7勝3敗、全休、8勝
1敗1分で横綱に昇進できたのは幸運としか
いいようがない。横綱2場所目に西ノ海(3
代目)に改名した。横綱では休場が目立ち、
全休が5場所、途中休場が6場所。皆勤は
わずか3場所にすぎなかった。優勝は1回
だった。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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