
2代目西ノ海は大関在位13場所(7年)と
初優勝が認められ、大正5年春場所後横綱に
推挙された。相手の方屋には横綱太刀山・鳳
がいて、2代目西ノ海の方屋には横綱はいな
かったが、1場所で解消された。2代目西ノ
海はこのとき37歳。晩年期であった。横綱は
途中休場2場所、全休2場所、皆勤1場所で
終わった。

<2代目西ノ海のブロマイド>
大錦は入幕3場所目に大関であった。大関
3場所で横綱になる記録的スピード出世と
なった。横綱直前の全勝優勝は横綱太刀山
との全勝同士の相星決戦であった。大正6年
春場所後横綱に27歳で推挙された。175セン
チ140キロの巨体、鋭い出足、緻密な頭脳、
豪胆なメンタルで非力をカバーした。三河島
事件で協会と力士との調整がまとまらない
責任をとって引退しなければ、どこまで記録
をのばしたか。惜しまれる横綱であった。

<大錦のブロマイド>
栃木山は大関在位2場所であった。その2場
所で連続優勝して一気に横綱に昇進した。
同じ出羽ノ海部屋の大錦の1年後であった
(年2場所制)。大関2連覇は5連覇の始ま
りであった。104キロで筋骨たくまししい
タイプであった。相撲は砂煙があがるほど
出足がすごく、筈押しの力強い内容であった。
横綱で3連覇しながら、あっさりと引退して
しまった。横綱は追い詰められからではなく、
花のあるうちにという栃木山の美学かもしれ
ない。

<栃木山のブロマイド>
引退6年後の昭和6年、第1回大日本選手権
に年寄春日野として参加した。そこで現役の
玉錦、沖ツ海、鏡岩、能代潟、天竜を倒して
優勝してしまったのは、語り草になっている。
大正10年夏場所まで、源氏山は関脇で出羽ノ
海と同じ方屋にいた。横綱大錦、栃木山、
大関常ノ花がいて、相手の方屋は大関千葉ヶ
崎しかいなかった。しかも千葉ヶ崎は先場所
に引き続き、この場所も負け越していた。
そのため源氏山が大関に昇進したとき、出羽
ノ海と反対の方屋に移された。急遽大錦、
栃木山、常ノ花と対戦する立場になった。
もっとも大錦は休場と急遽引退のため対戦は
なかった。

<3代目西ノ海のブロマイド>
源氏山が大関3場所を7勝3敗、全休、8勝
1敗1分で横綱に昇進できたのは幸運としか
いいようがない。横綱2場所目に西ノ海(3
代目)に改名した。横綱では休場が目立ち、
全休が5場所、途中休場が6場所。皆勤は
わずか3場所にすぎなかった。優勝は1回
だった。
BSの日本史の番組を見ています。
興味深いテーマをこれからもお届けます。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑