大相撲

寺尾という四股名にこめられた思い

2017年2月25日

父・兄弟関取の先駆けは、父鶴ヶ嶺と井筒
3兄弟である。父はもろ差し名人で技能賞の
常連であった。井筒3兄弟は長男鶴嶺山・
次男逆鉾、3男寺尾という相撲一家である。
また、母も2代目西ノ海の養女の養女ながら
孫にあたる。親子関取はいる。増位山親子、
栃東親子をはじめ、現役では佐田の海親子
などいくつかある。親子兄弟関取となると
ぐっと絞られてくる。父貴ノ花と若乃花・
貴乃花兄弟、父小城ノ花と小城ノ花・小城錦
兄弟になる。
寺尾1
<寺尾>

寺尾といえば今、幕下に寺尾という四股名の
力士がいる。いうまでもなく、これは師匠で
ある錣山が現役時代使用していた四股名で
ある。現役時代は甘いマスクと回転の早い
突っ張りで観客を魅了した力士である。井筒
3兄弟の末弟である。実は寺尾という、一見
苗字のような四股名には悲痛な事情があった。

父元鶴ヶ嶺は分家独立し、君ヶ浜部屋を創設
した。ところがめぐりめぐって井筒の年寄名
を昭和52年12月に入手し、部屋造りに忙しい
日々をおくっていた。それを支えたのがおか
みさんであった。蔵前小町と呼ばれるほどの
美人であったという。当時NHKアナウンサ
ーだった北出清五郎氏は、忙しすぎて痩せた
のではと思ったほどだと言う。
寺尾
<寺尾>
 
このとき悲劇は着々と進行していた。部屋が
落ち着いたころ、おかみさんにガンが見つか
ったのである。すぐに入院した。だが、すで
に末期症状であった。元鶴ヶ嶺の井筒は本人
にはもちろん3兄弟にも知らせず、伏せる
ことにした。

「親方、帰りたい。部屋に帰りたい。若い衆
は元気?ウチの子供たちは稽古してる?ねえ、
いつ帰れるの?」おかみさんは親方の顔を
見ると「帰りたい」が口ぐせだった。しかし、
フッと言わなくなった。のちに「悟ったんで
しょうな、もうだめだって」半袖シャツの
親方がポツンと一人、奥の部屋に座り、そう
言ったことがある。(中略)五十四年、夏場
所。千秋楽を待っていたかのようにおかみ
さんは亡くなった。ーー場所中には逝くまい、
彼女はそんな心配りをしたのであろうか。
「土俵に賭けるハートワーク」北出清五郎著
(世界文化社刊)より
寺尾3
<寺尾>
 
末弟の寺尾はこのとき、まだ学生であった。
母を見舞った長男の鶴嶺山は、逆鉾の入門に
反対したが、寺尾には入門を勧めた。母に
何か言われていたのであろうか。病名を知ら
されずに最愛の母を失った通夜で寺尾は相撲
界入りを決意した。寺尾という四股名は母の
旧姓から取った四股名である。思い入れが
とてつもなく深い深い名前なのである。
2月が28日しかないのは不便です。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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