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寺尾という四股名にこめられた思い

父・兄弟関取の先駆けは、父鶴ヶ嶺と井筒
3兄弟である。父はもろ差し名人で技能賞の
常連であった。井筒3兄弟は長男鶴嶺山・
次男逆鉾、3男寺尾という相撲一家である。
また、母も2代目西ノ海の養女の養女ながら
孫にあたる。親子関取はいる。増位山親子、
栃東親子をはじめ、現役では佐田の海親子
などいくつかある。親子兄弟関取となると
ぐっと絞られてくる。父貴ノ花と若乃花・
貴乃花兄弟、父小城ノ花と小城ノ花・小城錦
兄弟になる。
寺尾1
<寺尾>

寺尾といえば今、幕下に寺尾という四股名の
力士がいる。いうまでもなく、これは師匠で
ある錣山が現役時代使用していた四股名で
ある。現役時代は甘いマスクと回転の早い
突っ張りで観客を魅了した力士である。井筒
3兄弟の末弟である。実は寺尾という、一見
苗字のような四股名には悲痛な事情があった。
父元鶴ヶ嶺は分家独立し、君ヶ浜部屋を創設
した。ところがめぐりめぐって井筒の年寄名
を昭和52年12月に入手し、部屋造りに忙しい
日々をおくっていた。それを支えたのがおか
みさんであった。蔵前小町と呼ばれるほどの
美人であったという。当時NHKアナウンサ
ーだった北出清五郎氏は、忙しすぎて痩せた
のではと思ったほどだと言う。
寺尾
<寺尾>
 
このとき悲劇は着々と進行していた。部屋が
落ち着いたころ、おかみさんにガンが見つか
ったのである。すぐに入院した。だが、すで
に末期症状であった。元鶴ヶ嶺の井筒は本人
にはもちろん3兄弟にも知らせず、伏せる
ことにした。
「親方、帰りたい。部屋に帰りたい。若い衆
は元気?ウチの子供たちは稽古してる?ねえ、
いつ帰れるの?」おかみさんは親方の顔を
見ると「帰りたい」が口ぐせだった。しかし、
フッと言わなくなった。のちに「悟ったんで
しょうな、もうだめだって」半袖シャツの
親方がポツンと一人、奥の部屋に座り、そう
言ったことがある。(中略)五十四年、夏場
所。千秋楽を待っていたかのようにおかみ
さんは亡くなった。ーー場所中には逝くまい、
彼女はそんな心配りをしたのであろうか。
「土俵に賭けるハートワーク」北出清五郎著
(世界文化社刊)より
寺尾3
<寺尾>
 
末弟の寺尾はこのとき、まだ学生であった。
母を見舞った長男の鶴嶺山は、逆鉾の入門に
反対したが、寺尾には入門を勧めた。母に
何か言われていたのであろうか。病名を知ら
されずに最愛の母を失った通夜で寺尾は相撲
界入りを決意した。寺尾という四股名は母の
旧姓から取った四股名である。思い入れが
とてつもなく深い深い名前なのである。
2月が28日しかないのは不便です。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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