大相撲

新横綱の通信簿

2017年2月4日

稀勢の里が横綱に正式に決定してから11日が
経過した。三月場所まで5週間となった。
この5週間で横綱としての稽古をしなければ、
好成績は残せない。稽古量、対戦相手、質。
質とは何を強化するか、何を身につけるか、
長い相撲になっても息が切れないスタミナ
づくりなど、課題・目標をもって取組むべき
内容である。
170127稀勢の里明治神宮 186
<新横綱 稀勢の里>
 
先輩横綱は新横綱の場所にどのような成績を
あげたのか、調べてみた。対象は明治42年
6月、時事新報社が幕内最高成績者の優勝額
を国技館に掲げたとき以降とした。太刀山
から鶴竜までの47人の東京横綱に限定した。
それが以下である。
新横綱1A
新横綱2A
取組制度や興行日数はかなり異なる。特に
引き分け、預かり、不戦勝不戦敗の有無が
大きい。それは時代の限界だからどうしよう
もない。目安としてみてみよう。まず、新横
綱の優勝は6人である。確率1割2分8厘と
いう、狭き門である。師匠の隆の里は15日制
で初の全勝優勝を達成した。稀勢の里も続き
たいところではあるが、容易ではない。
大鵬
<新横綱で優勝した大鵬>
 
47人の横綱の勝率は7割4分7厘である(分、
預かりは0.5勝0.5敗とした)。1場所15日制
なら11.2勝である。全休及び途中休場は5人
である。千代の富士以外は弱い横綱である。
15日制で新横綱を迎えなおかつ系統別総
あたりの千代の山から鶴竜まで31人。その
中で12勝以上をあげた横綱は10人しか
いない。横綱合格の12勝以上をあげるのは
けっこう至難の業である。

こうして見ると新横綱は受難の場所になる
数字が並ぶ。大鵬は別としても大横綱とて
例外ではない。稀勢の里はどの道を辿るのか。
それは稀勢の里の今後の稽古の中身が答を
出すことになる。
120204稀勢の里大関昇進披露宴 116
<大関昇進後の稀勢の里>

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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