大相撲

3つのジンクスに挑む稀勢の里

2017年1月25日

今日正式に稀勢の里の横綱が決定した。伝達
式は通常部屋で行うが、手狭ということで
ホテルになった。ホテルといっても都内の
高級ホテルというだけで明らかにしていない。
ある相撲ファンは言う。「ファンの祝福は
いらないというわけか」さらに「モンゴル力士
のほうがファンサービスはよかったな」とも
言う。

この秘密裏の伝達式が誰の意向なのかは知ら
ない。しかし、難事件の犯人捜しではある
まいし、伝達式会場が帝国ホテルにいきつく
のは、それほど時間がかからなかった。大相
撲を支えているのはファンであり、お客さん
である。耐えられないほどの軽い扱いである。

本題は3つのジンクスに挑む稀勢の里である。
稀勢の里の横綱昇進についてまわる点がいく
つかある。なお、対象の横綱は昭和25年横綱
審議委員会誕生以降の千代の山からである。

◆ジンクス1
初優勝だけの横綱昇進、その悪しき結末
初優勝だけで横綱A
今回、稀勢の里の優勝にわいたが、実は初優
勝しか経験していない。メディアは横綱ムー
ド一色だったが、何かひっかかる、急ぐ必要
があったのかというファンもいた。しかし、
稀勢の里は現実に横綱に昇進した。初優勝
だけで横綱に昇進した例は9人目である。
(初優勝なしを含めて)これまでの8人は優勝
回数、横綱勝率がよくない。なかには横綱
優勝回数0が2人もいる。稀勢の里がこう
した悪しき成績に陥らずに、ジンクスを破る
ことができるのか。まず、これが第一のカギ
となる。

◆ジンクス2
30歳以上の横綱昇進は短命
30歳以上で昇進した横綱A
30歳後の優勝回数は大関時代も含めてだが、
こちらも優勝回数は少ない。37歳で引退した
吉葉山が最高齢である。だが、優勝はなく、
弱い横綱だった。そのほかの力士の引退は
32、33歳である。稀勢の里にはそれほど時間
がないことになる。このなかには師匠だった
隆の里も入っている。太く短い横綱で一時期
千代の富士に対抗した。師匠の道を歩めれば
上出来かもしれない。

◆ジンクス3
30歳以上の優勝回数平均2.2回
170122千秋楽幕内・表彰 722
<優勝インタビューを受ける稀勢の里>
 
千代の山から鶴竜まで31人の横綱。大関時代
を含め、30歳以上の優勝回数の平均は、わず
か2.2回である。30歳以上の優勝は難しいと
いえる。最高は千代の富士の19回、次点は差
があって初代若乃花の8回である。隆の里は
4回で、師匠を目指すなら後3回優勝できる。
ただ、肉体的衰えは急激にやってくる。場所
後は巡業がないのだから、イベントをあまり
入れずに稽古と休息、体調維持に務めること
を第一に心がけることが肝心である。

ここにあげたジンクスは稀勢の里にとって
辛らつなものばかりである。逆にジンクスを
破ってやる、と闘志を燃やすくらいで臨んで
いただきたい。

今日は相撲ファンの声が十分聞けた。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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