大相撲

白鵬、復活は大鵬に学べ

2016年11月3日

九月場所、白鵬は横綱になって2度目の休場
をした。昨年の九月場所は途中休場だったが、
休場あけの十一月場所は、まずまずの12勝
3敗だった。優勝のチャンスもあったが、優勝
してやるという強い意志が感じられなかった。
日馬富士が稀勢の里に敗れ、13勝2敗になっ
た時点で、白鵬は12勝2敗の成績だった。
だが、千秋楽鶴竜に力なく負けて、日馬富士
の優勝が自動的に決まった。今度の十一月
場所に二の舞はないか。
160724千秋楽幕内表彰 541
<七月場所千秋楽 白鵬は日馬富士に敗れ
10勝に終わる>
 
横綱の先輩に大鵬がいる。大鵬には次のよう
な休場と休場あけの優勝がある。

昭和39年七月場所 途中休場→2連覇
昭和41年一月場所 全休→6連覇
昭和42年七月場所 途中休場→全勝優勝
昭和42年十一月~43年七月 5場所連続休場
→3連覇と45連勝  
昭和44年三月場所 途中休場→30回目の優勝
昭和44年十一月~45年一月 2場所連続休場
→新横綱北の富士、玉の海をおさえて優勝
昭和45年七月場所 途中休場

大鵬は7度の休場のうち、休場あけで実に
6度優勝している。その中には6連覇さえある。
45連勝も達成している。大鵬は王者と言われ
たが、休場あけで復活するところから不死鳥
と呼ばれていたこともある。

大鵬の晩年の休場は昭和44年十一月場所から
45年一月場所の2場所連続休場である。大鵬
は一人横綱で陰りが目立ち始めていた。その
間、新大関清国の優勝に奮起した北の富士と
横綱候補でありながら、決定打に欠けていた
玉乃島が浮上し、同日横綱昇進を決定した。
大鵬
<不死鳥大鵬>
 
場所前のポスターが北の富士、玉乃島改め玉
の海だけだった。ポスターの扱いと自分と世代
が違う新しい力に大鵬は燃えた。大鵬は北の
富士、玉の海の両横綱を倒し、なんと優勝して
しまった。31回目の優勝であった。

白鵬は通算勝利1000勝まであと3勝である。
その後は魁皇の1047勝という目標がある。
なにより、40回という大台の優勝回数がある。
昨年の繰り返しは見たくない。白鵬は大鵬と
いう手本があるのだから、そこから学ぶべき
である。
小説陣幕つむじ風を読み始めました。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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