<豪栄道の優勝パレード 旗手豊響>
九月場所は、まさかの大関豪栄道の優勝で
幕を閉じた。稀勢の里は13勝-13勝-12勝と
連続好成績をあげながら、10勝に終わってしま
った。それにしても、稀勢の里は琴奨菊、豪栄
道に優勝を先んじられてしまった。照ノ富士は
関脇時代に優勝があり、いまや4大関どころか、
年6場所制最強の大関が優勝なしとは何とも
皮肉な結果になってしまった。稀勢の里がどれ
ほど強い大関か下記の表をご覧いただきたい。
勝率7割3厘は1場所10.5勝である。同様に
琴奨菊は8.8勝。豪栄道は8.4勝である。琴奨
菊・豪栄道は大関としてはいささか物足りない
成績である。それなのに琴奨菊と豪栄道は
優勝経験があるという1点に限って稀勢の里
に優っている。
<一月場所優勝の琴奨菊 旗手琴勇輝>
両力士に共通しているのは、たった1度の
13勝以上の成績が優勝に直結した点である。
稀勢の里は13勝以上の成績が4回あるが、
主に白鵬の壁にはね返されている。
かつて悲運といわれた力士に吉葉山がいる。
悲運の始まりは兵役であった。それも、十両
入りが決まっていた成績をあげながらである。
戦争が終わっても、吉葉山だけはなかなか
戻ってこなかった。戻ってきたのは昭和21年
11月であった。4年半もブランクがあった。体
重は70キロまで落ちていた。
<吉葉山のブロマイド>
吉葉山も優勝が遠かった力士である。関脇
時代に2度13勝をあげながら、横綱照国に
優勝を奪われていた。大関になって14勝を
あげながら、平幕で横綱・大関戦のない時津
山が15勝をあげる悲運にあっている。
その2場所後、吉葉山はついに15戦全勝で
優勝した。雪が降りしきるなかの優勝パレード
は「吉葉山の頬を伝わるのは雪か涙か」と
いわれた。
<稀勢の里>
稀勢の里は悲運をのり越えた先人がいるのだ
から、負けじ魂で優勝を目指して始動いただき
たい。
9月末の残暑が厳しい。
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