った。それにしても、稀勢の里は琴奨菊、豪栄
道に優勝を先んじられてしまった。照ノ富士は
関脇時代に優勝があり、いまや4大関どころか、
年6場所制最強の大関が優勝なしとは何とも
皮肉な結果になってしまった。稀勢の里がどれ
ほど強い大関か下記の表をご覧いただきたい。
道に優勝を先んじられてしまった。照ノ富士は
関脇時代に優勝があり、いまや4大関どころか、
年6場所制最強の大関が優勝なしとは何とも
皮肉な結果になってしまった。稀勢の里がどれ
ほど強い大関か下記の表をご覧いただきたい。
琴奨菊は8.8勝。豪栄道は8.4勝である。琴奨
菊・豪栄道は大関としてはいささか物足りない
成績である。それなのに琴奨菊と豪栄道は
成績である。それなのに琴奨菊と豪栄道は
優勝経験があるという1点に限って稀勢の里
に優っている。
両力士に共通しているのは、たった1度の
13勝以上の成績が優勝に直結した点である。
稀勢の里は13勝以上の成績が4回あるが、
主に白鵬の壁にはね返されている。
13勝以上の成績が優勝に直結した点である。
稀勢の里は13勝以上の成績が4回あるが、
主に白鵬の壁にはね返されている。
かつて悲運といわれた力士に吉葉山がいる。
悲運の始まりは兵役であった。それも、十両
入りが決まっていた成績をあげながらである。
戦争が終わっても、吉葉山だけはなかなか
戻ってこなかった。戻ってきたのは昭和21年
11月であった。4年半もブランクがあった。体
戻ってこなかった。戻ってきたのは昭和21年
11月であった。4年半もブランクがあった。体
重は70キロまで落ちていた。
吉葉山も優勝が遠かった力士である。関脇
時代に2度13勝をあげながら、横綱照国に
優勝を奪われていた。大関になって14勝を
あげながら、平幕で横綱・大関戦のない時津
山が15勝をあげる悲運にあっている。
時代に2度13勝をあげながら、横綱照国に
優勝を奪われていた。大関になって14勝を
あげながら、平幕で横綱・大関戦のない時津
山が15勝をあげる悲運にあっている。
その2場所後、吉葉山はついに15戦全勝で
優勝した。雪が降りしきるなかの優勝パレード
優勝した。雪が降りしきるなかの優勝パレード
は「吉葉山の頬を伝わるのは雪か涙か」と
いわれた。
稀勢の里は悲運をのり越えた先人がいるのだ
から、負けじ魂で優勝を目指して始動いただき
たい。
たい。
9月末の残暑が厳しい。
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よしなに
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