大相撲

稀勢の里の悲運

2016年9月27日

160925千秋楽パレード 101
<豪栄道の優勝パレード 旗手豊響>

九月場所は、まさかの大関豪栄道の優勝で
幕を閉じた。稀勢の里は13勝-13勝-12勝と
連続好成績をあげながら、10勝に終わってしま

った。それにしても、稀勢の里は琴奨菊、豪栄
道に優勝を先んじられてしまった。照ノ富士は
関脇時代に優勝があり、いまや4大関どころか、
年6場所制最強の大関が優勝なしとは何とも
皮肉な結果になってしまった。稀勢の里がどれ
ほど強い大関か下記の表をご覧いただきたい。 
大関の成績A
勝率7割3厘は1場所10.5勝である。同様に
琴奨菊は8.8勝。豪栄道は8.4勝である。琴奨
菊・豪栄道は大関としてはいささか物足りない
成績である。それなのに琴奨菊と豪栄道は
優勝経験があるという1点に限って稀勢の里
に優っている。
160124千秋楽表彰 679
<一月場所優勝の琴奨菊 旗手琴勇輝>
 
両力士に共通しているのは、たった1度の
13勝以上の成績が優勝に直結した点である。
稀勢の里は13勝以上の成績が4回あるが、
主に白鵬の壁にはね返されている。

かつて悲運といわれた力士に吉葉山がいる。
悲運の始まりは兵役であった。それも、十両
入りが決まっていた成績をあげながらである。
戦争が終わっても、吉葉山だけはなかなか
戻ってこなかった。戻ってきたのは昭和21年
11月であった。4年半もブランクがあった。体
重は70キロまで落ちていた。
ブロマイド吉兼山
<吉葉山のブロマイド>
 
吉葉山も優勝が遠かった力士である。関脇
時代に2度13勝をあげながら、横綱照国に
優勝を奪われていた。大関になって14勝を
あげながら、平幕で横綱・大関戦のない時津
山が15勝をあげる悲運にあっている。

その2場所後、吉葉山はついに15戦全勝で
優勝した。雪が降りしきるなかの優勝パレード
は「吉葉山の頬を伝わるのは雪か涙か」と
いわれた。
160925千秋楽十両幕下以下 873
<稀勢の里>
 
稀勢の里は悲運をのり越えた先人がいるのだ
から、負けじ魂で優勝を目指して始動いただき
たい。

9月末の残暑が厳しい。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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