大相撲

稀勢の里の変遷 8

2016年7月8日

平成23年九月場所、稀勢の里は関脇で初めて
12勝をあげ、大関の足固めをした。稀勢の里
は意外な相手に負けることが多かった。九月
場所はそれがなかった。以前から稀勢の里は
優勝を目指すつもりで取り組んでほしいと思っ
ていたが、兆しが見えたかなというところであ
る。
kisenosatoA
<九月場所 白鵬を倒した稀勢の里>
 
九月場所のメモから
10勝、12勝と2ケタ勝ち星をあげたが、大関
の可能性は大いにあると思う。稀勢の里は早
くから期待されていた。思わぬ相手に負けて
いたのが、遅れていた原因だった。今の大関
は優勝を争えないだけに今後九月場所のよう
な相撲をとって決めてほしい。

ところが、十一月場所開始直前に予想もでき
ない訃報が待っていた。稀勢の里の師匠であ
る元隆の里の鳴戸親方が急死したのである。
あまりにも突然のことで誰もが驚いた。何の
予兆もなく、まさかのできごとだった。週刊誌
に力士殴打事件、太らせるため薬物を使用
したと報じられ、協会も事情聴取し、結論を
だそうとしていた矢先だった。
naruto
<故鳴戸親方(元隆の里)>
 
師匠亡きなかで、大関を狙う稀勢の里の十一
月場所が始まった。14日目まで稀勢の里は10
勝4敗の微妙な成績であった。千秋楽勝てば
大関昇進かと思われた。ところが思いもよらな
い情報が舞い込んだ。14日目までの成績で
大関昇進が決定したのである。これは、千秋
楽勝って大関となった場合、対戦相手の琴奨
菊の心理に影響をあたえてしまうという配慮
らしい。しかし、それでいいのだろうか。
きせ対琴欧州A
<十一月場所 琴欧洲に辛勝の稀勢の里>
 
結果は苦手琴奨菊に一方的に敗れ、稀勢の里
は10勝止まりで終わった。3場所通算32勝で
ある。七月場所、琴奨菊が32勝で見送られた
ことと比べると優遇されたといえる。しかし、過
去には当人さえ上がると思っていなかったもっ
と甘い昇進がかなりある。大関昇進基準33勝
はあくまで目安といえば聞こえはいいが、よう
するにいい加減なのである。稀勢の里はこう
して大関に昇進し、年6場所15日制における
最強の大関として現在にいたっている。
千秋楽新聞A
<十一月場所の千秋楽を伝えるスポーツニッポン>
 
最後に稀勢の里語録を紹介する。「天才は生
まれつきです。僕は天才にはなれません。だ
から、努力するしかないのです」

長い間「稀勢の里の変遷」をお読みいただき
まことにありがとうございました。

7月 大相撲企画番組の録画を整理。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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