横綱審議委員会誕生後から系統別総当たりで横綱に昇進
した横綱の休場率をみていこう。佐田の山の横綱昇進直
前の成績は系統別総当たりで2場所、部屋別総当たりで
1場所なのでこの中に入れた。
である。千代の山は年3場所時代に、鏡里・吉葉山・栃
錦は年4場所時代に横綱に昇進した。初代若乃花以降か
ら年6場所時代に誕生した横綱である。場所数の変遷は、
年3場所 昭和24年から昭和27年
年4場所 昭和28年から昭和31年
年5場所 昭和32年
年6場所 昭和33年以降
となる。
ここでは鏡里9.5%、栃錦8.8%、佐田の山9.8%と1ケタ
台の横綱休場率を残した。50人中鏡里は5位、栃錦4位、
佐田の山6位と好位置につけている。3力士に共通して
いるのは全休が少なく、1場所である点があげられる。
鏡里は成績が芳しくなくてもフル出場したことが功を奏
したとみるべきか。皆勤18場所中、1ケタ勝利は6場所
ある。栃錦は引退前1年間81勝9敗だからまだ取れるの
に、初日、2日目連敗するとあっさりやめてしまった。
佐田の山は連続優勝のあと、序盤で負けが込むと引退し
てしまった。両力士とも余力を残しての引退だったこと
が横綱の休場率に影響をあたえたかもしれない。
彼らと正反対なのが吉葉山、朝潮、栃ノ海である。綱が
重かった3力士はそろって休場率が30%台である。はか
らずも弱い横綱の条件は休場が多いことであることを満
たしてしまった。
吉葉山が横綱に昇進したときはすでに34歳であった。軍
隊・抑留生活の4年半ブランクが響いた。横綱昇進後は
ケガと病気がたたって満足な活躍はできなかった。
朝潮はバランスのとれた巨人で期待は大きかった。関脇
以下で優勝しながら三賞をもらえなかったのは朝潮と大
鵬だけである。優勝して当然とみられる逸材だったので
ある。朝潮には強い朝潮と弱い朝潮が同居していた。し
かし、横綱に昇進後は弱い朝潮が多く出てしまった。新
横綱の翌場所からいきなり3場所全休した。
栃ノ海は技能派であった。108キロと軽量ながら相撲の
うまさは栃錦以上と言われた。ワンチャンスで横綱に
なったが、椎間板ヘルニアと筋肉裂断で苦しんだ。成績
があがらない場所と休場の場所を繰り返すことになった。
当時史上最年少で横綱に昇進した大鵬が初めて皆勤44場
所に到達した。これまで30場所台さえなかったどころか、
そもそも横綱在位が40場所に到達したことなかったのだ
から快挙であった。大鵬と同日横綱に昇進した柏戸はケ
ガに泣き、皆勤は34場所であった。大鵬は休場後よく優
勝した。千秋楽不戦敗になった場所を除けば7度の休場
中6回優勝している。特に5場所連続休場の後、45連勝
が始まっているほどである。
<大鵬>
次に白鵬を含めた部屋別総当たりで横綱に昇進した横綱
の休場率を検証する。
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