大相撲

仕切り線の攻防

2015年8月15日

あるアナウンサーが相撲担当になって最初に覚えたこと
は決まり手であった。なるほどこれが言えなくてはアナ
ウンサーは務まらない。筆者が決まり手を見て不思議に
思ったのは反り技である。こんな技を仕掛ける意味があ
るのだろうか。こんな技本当に決まるのだろうか。

栃錦が不動岩をたすき反りに決めた写真を見た。まるっ
きりないわけではないと思う程度であった。ところがそ
れは認識不足であった。反り技が出にくいのは現代相撲
においてという条件付の上であった。

長い相撲史において仕切り線は最初からあったわけでは
ない。昭和3年のラジオ放送の開始時に仕切り制限時間
とともにできたのである。まだ90年に満たない歴史であ
る。現在の仕切り線の間隔は70センチだが当初は60セン
チであった。
140126千秋楽

仕切り線のない時代の立ち合いはどういうものであった
か。それは牛相撲のように頭と頭が接触する場合もあっ
た。そうなれば反り技も仕掛けやすくなる。頭ぶねりも
決まりやすかった。もちろん下がって仕切る力士もいた
のでそうなると違う展開になったが、四つ相撲が多かっ
たという。

現代は立ち合いの一瞬の攻防が勝負に直結する。組んで
取る力士と離れて取る力士のぶつかり合い。四つ相撲で
も右四つと左四つの差し手争い。小さい力士が食い下が
らんとするための工夫の立ち合い。スピードと迫力、土
俵際の攻防と仕切り線は相撲の勝負展開を大きく変え、
相撲の見どころ、魅力に大きく貢献した。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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