相撲はドラマだ。土俵は人生の縮図。そんなシーンを数
々見せてくれた。その最大のものが九重(元横綱千代の
山)部屋の出羽海からの破門独立直後の北の富士・松前
山の幕内・十両のアベック優勝だった。こうしたシーン
は筆者を大相撲から離れないものとした。詳細は下記
をクリックして参照。
は筆者を大相撲から離れないものとした。詳細は下記
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出羽海の系統16
もうひとつ大相撲を虜にしたものに「相撲のバイブル」
ともいうべき書物がある。これはけっこうある。その中
からまず杉山桂四郎帳を取り上げたい。杉山桂四郎帳と
いってもそういう名前のものがあるわけではない。これ
は彼が新聞社記者時代執筆した記事をまとめたものであ
る。杉山桂四郎氏といえば、視点のするどさ、思いも寄
らない角度から斬り込むので定評のあった方である。燃
える要素があると強い北の富士を循環気質と書いた。監
察委員を八百長Gメンと表現した。
また、当時誰も話を聞きにいかないなかで、彼は元安芸
ノ海によく話を聞きに行った。貴ノ花は横綱になれない、
骨がある若三杉(後の2代目若乃花)は北の富士級にな
れるなど貴重な話を引き出している。
筆者が忘れられないのは昭和48年の大出羽海構想である。
武蔵川(元出羽ノ花)理事長のあとは春日野(元栃錦)
の理事長が確定的だった。その後は武蔵川の娘婿でも
ある出羽海(元佐田の山)とみられていたが、杉山氏の
見方は春日野は暫定にすぎず、そこには出羽海で角界支
配していく構想を記事にしたものである。結局そうした
事態にはならなかったものの、そう思わせるほど当時は
武蔵川の権勢が大きかった。
杉山氏は佐山直康のペンネームでも執筆していた。昭和
63年62歳の若さで亡くなられた。直接教えを受ける機会
は永遠に失われた悲しい瞬間であった。今では彼の執筆
した記事が貴重な遺産となってしまった。
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