大相撲

相撲のバイブル

2015年8月12日

相撲はドラマだ。土俵は人生の縮図。そんなシーンを数
々見せてくれた。その最大のものが九重(元横綱千代の
山)部屋の出羽海からの破門独立直後の北の富士・松前
山の幕内・十両のアベック優勝だった。こうしたシーン
は筆者を大相撲から離れないものとした。詳細は下記
をクリックして参照。

もうひとつ大相撲を虜にしたものに「相撲のバイブル」
ともいうべき書物がある。これはけっこうある。その中
からまず杉山桂四郎帳を取り上げたい。杉山桂四郎帳と
いってもそういう名前のものがあるわけではない。これ
は彼が新聞社記者時代執筆した記事をまとめたものであ
る。杉山桂四郎氏といえば、視点のするどさ、思いも寄
らない角度から斬り込むので定評のあった方である。燃
える要素があると強い北の富士を循環気質と書いた。監
察委員を八百長Gメンと表現した。
武蔵川出羽海
また、当時誰も話を聞きにいかないなかで、彼は元安芸
ノ海によく話を聞きに行った。貴ノ花は横綱になれない、
骨がある若三杉(後の2代目若乃花)は北の富士級にな
れるなど貴重な話を引き出している。
貴若
筆者が忘れられないのは昭和48年の大出羽海構想である。
武蔵川(元出羽ノ花)理事長のあとは春日野(元栃錦)
の理事長が確定的だった。その後は武蔵川の娘婿でも
ある出羽海(元佐田の山)とみられていたが、杉山氏の
見方は春日野は暫定にすぎず、そこには出羽海で角界支
配していく構想を記事にしたものである。結局そうした
事態にはならなかったものの、そう思わせるほど当時は
武蔵川の権勢が大きかった。
北の富士
杉山氏は佐山直康のペンネームでも執筆していた。昭和
63年62歳の若さで亡くなられた。直接教えを受ける機会
は永遠に失われた悲しい瞬間であった。今では彼の執筆
した記事が貴重な遺産となってしまった。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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