大相撲

変則歴次横綱

2015年8月13日

谷風
小野川
阿武松
不知火(諾)
秀ノ山
鬼面山
稲妻
不知火(光)
境川
雲竜
陣幕
西ノ海
小錦
大砲
常陸山
梅ヶ谷
梅ヶ谷
大木戸
西ノ海
西ノ海
玉錦
太刀山
大錦(卯)
若島
宮城山
大錦(大)
栃木山
常ノ花
双葉山
武蔵山
羽黒山
男女ノ川
前田山
玉の海
東富士
照国
千代の山
吉葉山
安芸ノ海
朝潮
栃錦
柏戸
鏡里
琴桜
若乃花
隆の里
大鵬

これは何の順かわかりましたか。四股名をみると横綱で
あることが判明するが、全員いるわけではない。順番は
横綱になった順番でないことは確かだ。実はこれは没年
横綱順なのである。詳細の表は以下である。
横綱没順

※訂正 栃錦は64歳です。お詫びし訂正します。

これは元横綱の隆の里があまりにも突然亡くなられたと

き作成したものに大鵬を加えたものである。本当に元隆
の里は予兆がなくあまりにも急死だったことに衝撃が走
ったものである。なお、横綱免許受諾が明確でない明石、
丸山、綾川ははずし、カウントしていない。

戦前は人生70古来稀なりといわれ、隠居も50代だった。
このころは子供が必ず成長するとは限らなく、幼児のう
ちに亡くなることが珍しくなかった。戦後は栄養がいき
わたり、医療が進歩して戦前とは様変わりした。
双葉羽黒
<双葉山のブロマイド>

それでも元双葉山・羽黒山をはじめ同時代の横綱が50代

で亡くなられるのを知って唖然としたものである。横綱
の責任の重さ。重圧が短命につながっているのではと、
まことしやかに言われたものである。
羽黒
<羽黒山のブロマイド>
 
一番ショックだったのは玉の海が現役で亡くなってしま
ったことである。スポーツ紙の「暗転の青年横綱」とい
う見出しは未だに忘れられない。玉の海は二枚腰をみせ、
腰で取る相撲で安定度は高かった。双葉山と比較する楽
しみがでてきた矢先だけに失ったものはあまりにも大き
すぎた。
玉の海
<玉の海>
 
栃錦以降は50代でということはなくなったが、それでも
男性の平均寿命以下である。はじめて80歳に達したのは
鏡里であり、平均を超えたのが初代若乃花であった。22
歳年下の実弟貴ノ花が先に逝っていまったくらい。

元北の湖、元千代の富士が療養中とのことだが、治療に
専念してまた元気な姿を見せていただきたい。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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