大相撲

館内で見える土俵の光景

2015年8月10日

大相撲九月場所は祝日で5連休があるためことが手伝っ
て、国技館で観戦する方が増加している傾向がある。友
人たちはサイトを駆使して比較的早い時刻にチケットを
ゲットできたと連絡があった。大相撲の観戦は生とテレ
ビの2通りある。テレビのほうが横になって解説とスロ
ービデオがあるからいいという考え方がある。さらにい
えばお金がかからない。出かけるのがしんどくなるご高
齢の方や多忙な方には最適といえる。

これに対して生観戦派の見方は実に様々である。勝負は
テレビで見ればいいとばかりに、力士の入り待ち、出待
ちをメインにする方。館内観戦派は正面中心派がいるか
と思えば、正面はテレビで見れるので、違う角度を好む
方、2階は急勾配だから1階で観戦するこだわり派。力
士が出入りする花道派などがいる。

ライブで観戦すると観客の声援や型破りな?応援が伝わ
ってくる。自分の目で直接土俵を見る。それはテレビカ
メラとは異なり、自分の範囲で見たい光景を選択するこ
とができる。

テレビカメラではなく、自分で見る光景を選択できると
いえば次のエピソードがある。小坂秀二氏は戦地で軍務
についていたが、戦況はこう着状態であった。あまり長
くいる者には休暇を1ヶ月与えよということになった。
小坂氏はそれを利用して双葉山の相撲を見るために大陸
から東京へ戻った。昭和18年夏場所は連日国技館へ通っ
た。そのなかでも双葉山対安芸ノ海の横綱同士の対戦を
こう記している。

当時の私は、桟敷など持ってはいない。三階か四階の大
衆席にいた。ところが、これが結果的にはよかった。遠
いところから見ているので、両力士を一望することがで
きる。(中略)呼び出しが東西から双葉山、安芸ノ海を
呼び上げた。「さあ、始まるぞ!」と思ったとき、安芸
ノ海がサッと立った。双葉山も、これに遅れて、ゆった
りと立った-ように見えた。しかし、ここで、わたしは
自分の目を疑った。

双葉
<双葉山のブロマイド>

土俵下にスックと立ちあがったところを見ると、双葉山
のほうが早いのである。たしかに安芸ノ海のほうがサッ
と立ち、つづいて双葉山も立ちあがったはずだが、立ち
あがったときは、双葉山のほうが早いのである。(中略)
双葉山の動作の中には特別な早さなどなかったのだが…
…。私は、土俵にあがった両者の動きを目でおいながら、
この疑問を解こうとした。(中略)

双葉山の動作は、特別に早かったり、いそいだりしたあ
とはない。とすれば、安芸ノ海のほうに、なにか遅れる
理由があったのか。なにか余分な動きがあったのか。(
中略)わかった。安芸ノ海は腕を組んですわっていた。
立ちあがるために、安芸ノ海は、まず組んでいた腕を解
かなければならなかった。安芸ノ海の最初の動作は、腕
を解くことであった。そのための動き、その余分の動き
の間に、遅れて動きを起こした双葉山は立ち切ってしま
ったのだ。ここにも双葉山の”後の先”があった。(中
略)

安芸
<安芸ノ海のブロマイド>

控えに入って腕を組むという、なんでもないことが、双
葉山に対しては余分な動作となってしまう。双葉山は、
土俵に集中するためには、一切の余分なものを排除した。
無駄な動きの一切を切り捨てて、気負わず、臆せず、淡
々たる土俵態度であったから、それが見るものには無造
作、無作為にしか見えない。しかし、そこに徹している
双葉山は、相手の余分なものに対しては、容赦しないき
びしさを持っている。そのきびしさが、控えから立ちあ
がるという一瞬の間にも”後の先”となって現われたの
である。私は「安芸ノ海、未だし」と心の中でつぶやい
た。(がちんこ相撲-だれが現代の双葉山か-小坂秀二
著 いんなあとりっぷ社刊より)

館内観戦のよさ・すばらしさがこのエピソードからも読
み解ける。筆者の土俵への目撃へのこだわりの原点はこ
こにある。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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